マガジンのカバー画像

アーカイブ:2000-2009年

13
2000-2009年のあいだに、せんだいメディアテークの企画に関するものや各種媒体(新聞や小冊子など)に寄稿した文章。
運営しているクリエイター

#現代美術

「retake-とらえなおされる日常-」コンセプト・ノート

これは、2002年にせんだいメディアテークで開催した「retake-とらえなおされる日常-」を企画するときのメモである。開館2年目の最初の企画で、展覧会・上映会・ワークショップを組み合わせたものであった。私は全体のコンセプトと、展示作家の一部、上映企画、ワークショップの基本的なアイディアを担当した。20年も経った今読むと「SNSがない時代」を実感する。 ところで、当時の分担からしても私がギャラリーの企画に関わることは想定外であった。このまま展覧会の仕事もコンスタントにしていた

「hot spot plan report(椎名勇仁)」評

これは、2001年春に宮城県仙台市にあったwhat's art galleryで開かれた展示のために書かれたものである。 初出:不明(2001年) 世界は何によってできているのか? あるいは、世界を何によってか再現できるか? 椎名勇仁は、はじめて会ったギャラリーの片隅で「粘土でこの世界を作ることができると思っている」と言った。 世界を粘土で作ることはできない、と最初に言っておこう。世界の形を模すことはできても、世界は形だけでできているのではない。叙情を廃せば、粘土は土の塊

「我ガタメニ躰ヲヒトツ(山内宏泰)」評

これは、2001年冬にwhat's art gallery(宮城県仙台市)で開かれた展示のために書かれたものである。山内氏は、宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館に勤め、2011年の東日本大震災後には多くの人が彼の仕事を知るところになった。一度なにかのシンポジウムの席でご一緒したが、かつてこの展示について書いたことがあり、顔が判別できないほど暗いギャラリーのなかで話したことがあるのを伝えることはできなかった。 初出:記憶なし(2001年) 山内宏泰の作品を見るとき、はじめに

彫ることと残すことのあいだに -高橋健太郎展『内在する意志』

これは、高橋健太郎展『内在する意志』(2005年4月24日-5月1日/what's art gallery[宮城県仙台市])のために書かれたものである。美術評といえるものを書いたのは、このギャラリーのためだけであり、記憶にある範囲では、山内宏泰氏(2001年)、椎名勇仁氏(2001年)、青野文昭氏(2003年)、そしてこの高橋健太郎氏である。 初出:「what's art」(発行:what's art gallery/2005年) 辞書通りに考えるのならば、おおよそ彫刻とい