『宗一』回想録

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宗一は苦しみに蓋をするべきは“幸せな思い出”ではなく、“苦しみが生み出す感情や時間”であると考えていました。
宗一が自分をベランダから突き落とした母に精一杯手を伸ばしたのは、助けて欲しかったのでは無く、幼心にも母を助けたいという一心で手を伸ばしていたのです。

苦しみと後悔を心の奥に潜ませて普通に生きてきた宗一は幸せというものに自分は救われることはないと確信して、どこかで母の面影を追い、苦しみというものを探すようになりました。

遺恨の残るこの町で警察官となり、最初に来た場所が、死んだ母との思い出の公園だったのです。いたずら電話でしたが、まるでそれは運命のいたずらでした。夜勤で町を巡回しているときに立ち寄ったスナックで客を外まで送るホステスの声がいたずら電話の主であるとすぐ分かりました。

次の日から電話の主である綾乃の元にそのスナックへ通うようになるのです。

宗一は警察官という理由で綾乃から嫌われていました。

暗い話題を取り上げたり、公務員に対する悪口を言ったり、自身の闇や汚い生活をわざと露わにして綾乃は宗一を避けさせようと努めたのです。

しかし宗一にとっては負をまき散らす綾乃が何よりも愛おしく感じたのです。このひととでは、到底、幸せになれないかもしれない、家族に心配かけるであろう。だけれど宗一の感情はどうする事もできず、綾乃に母の影さえも重ねてしまうほどの大きな存在に愛情を感じてしまうのでした。

宗一は几帳面な性格であり、毎日日記をつけて身の回りの整理整頓も行い、外食もせず健康にも人一倍気をつけていました。ですので綾乃の店でもお酒やおつまみは一切口にせずに綾乃と会話をするばかりでした、閉店間際、いつも疲れきった綾乃は、宗一の隣で寝てしまい、その綾乃を家まで送っていくのが決まりでした。

綾乃を送って行くことは宗一にとってただ送るというそれ以外の何ものでも無く、より綾乃を知りたいとか、綾乃の肉体を欲するとか、男としての欲望は微塵も無かったのです。ベットに寝かせ、顔と手を拭いてやり、部屋を片付けて、郵便物を整理して、目覚まし時計をセットして、玄関の鍵を閉め、鍵はドアの新聞受けに入れておく。
この繰り返しでした。

ただ、ときには水道、電気、ガス料金の督促が来ていたら払うこともあり、その際に綾乃の本名を知った時と、小さな鏡台の上に雑に放り投げられた母子手帳を見つけた時は、鼓動が早まり落ち着くまで、寝ている綾乃をしばらく見つめていました。綾乃を形成する外殻と核の一部分を知り得た気がしたのです、この美しい異形の卵を今すぐ叩き割って中身を隅から隅まで味わいたい衝動に駆られたのでした。

ある夜、綾乃が母親に会ってきたという話しと子供の頃に父親が出て行ってしまった時の話をしてくれました、この頃には、宗一と綾乃の間の見えない繋がりを感じあっていて、宗一も自分の子供の頃と母親の話をしました。綾乃の反応は薄かったのですが、宗一の目をじっと見つめながら「お母さんはあなたのこと愛してたんだね」と呟いたのです。宗一はその一言と綾乃の姿に母親の面影を重ねて、吐き気が出るほど胸が苦しくなり、綾乃の両方の手をとり強く握り締めたいと思ったが、その時は、抑えたのでした。

宗一は綾乃との会話で得る感覚がなんとも心地よくてたまらなかったのでした。他者が聞けばあまりにもネガティブで気持ちの良いものでは無かったはずですが、クズな人間の存在や、自殺では無い死を望んでいることや、自分自身に嫌悪の念を抱いていることや、バラバラにされて消えてしまいたい願望や、自分よりも弱そうな人間を無意味に睨みつけ攻撃することなど、宗一の頭では到底、想像し得ない思考を綾乃は持っていたからです。

低くおどろおどろしい雲が頭上を流れていた夜。
いつもより酔いが回るのが早い綾乃に、綾乃の精神の本質の話と、人を傷つけた過去があるという告白をされた宗一は、綾乃の中身と存在こそが自分の苦しみに蓋をしてくれるのだと確信したのです。夜の間で過ごす綾乃との時間が幻想であるならば、明け方、家で眠る塔子こそが現実でありその現実を生きる塔子に一切の愛おしさを宗一は感じずにはいられなかったのです。

ふたりには普通の男女のように共通点を見つけて喜ぶこともありました。同じ6月生まれで、A型で、甘い物が好きで、紅茶が好きで、鱗雲が嫌いで、桜の咲く春は憂鬱になること、薬指の爪だけは上手く切れないこと。こんな些細な共通点が宗一は好きで、仕事中も時々考えてしまうくらいでした。

いつものように宗一に抱えられて帰っている途中、綾乃が「この辺りで桜が咲く前に一緒に東北に逃げようね」と言った時、宗一は反射的に「ああ」と答えたが、これがふたりにとって初めての約束だったのです。

綾乃を送り、家に帰った宗一だったが、初めての約束に対する幸福感が、不安を募らせた。今が一番の幸せで、もう二度と綾乃とは会えないのではないか。宗一にとって必要な大切な愛おしい人が遠くへ行ってしまうのではないか。と、いてもたってもいられないほどに不安になってしまった宗一は、眠れずに夜明けを迎え、走って塔子の家へと向かいました、が、塔子はすでに家を出ていたので今度は駅に向かう道を走って行くのです。

駅に到着するひとつ手前の横断歩道で信号待ちをしている塔子を見つけて宗一はそっと塔子への想いを告白するのでした。


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