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記事72:Never Dieと死なないで踏めない

体調がイマイチすぎる。ただでさえ、些細なことも含めたら毎日どこかしら調子が悪い。口内炎ができてるとか、鼻炎とか、寝違えてるとか、その程度のものも含めたらの話だ。
昨日は午前中休み、今日は午後休みにしたけどこれぐらいの働き方が本当にちょうどいい。休みということでパソコンも持たず、出先から最低限の電話をかけるぐらいの仕事ペースがいい。

突然だが、日本語ラップファンは閉鎖的だ。こんなことだからいつまで経ってもヨーヨーチェケラッチョの音楽から抜け出せない。
自分はそうなるまい、と思っているがやはり難しい。「いかに魅力を分かってもらうか」ではなく「初心者に魅力が分かるはずない」という思いがどこかにある。

僕の好きなラッパーであるKREVAとZORNが楽曲の解説をするYouTube Liveを少し見ていたが、視聴者から寄せられるコメントがキツくて見るのを断念してしまった。コメントをオフにしてみたが、どうしても「こういう人たちと同じものを共有していたのか」と思ってしまい、途中から見れなくなった。

KREVAとZORNは真摯に楽曲解説をしていたので、もちろん罪はない。そして、コメントを寄せていた人たちにも罪はないのだ。好きなものを好き、すごいと思ったことにすごいと言うのは正しい。
自分だって初めはこうだったはずだ、というのも分かるのだけど。それでも閉鎖的な考えに陥ってしまった。

「まだそこのレベルなのかよ」
「そんなことも知らずに聴いてたのかよ」

寄せられるコメントに対してそういった気持ちが出てきてしまい、大好きなラッパー2人の対談をリアルタイムで見ることが叶わなかった。一流のプレイヤー達がヒップホップの裾野を広げようと前線で頑張っているのに、古くからのリスナーがこれではダメだ。という反省のもと、これを書いている。

中学や高校のとき、一緒にRIP SLYMEやKICK THE CAN CREWを聴いていたクラスの人たちの何%が今もラップを聴いているだろうか。フリースタイルダンジョンに夢中になっていた人たちの何割が、今もラップを聴いているだろうか。今日コメントで称賛していた若者の何人が、5年後もヒップホップを聴いているだろうか。

流行でなく、イロモノでなく、当たり前になれる日は来るのだろうか。ここ10年ぐらいでよく考えるようになった。

日本語ラップはいつも、それなりに大きい入り口があるけどその道が短い。あまり魅力のないジャンルなんだろうか。世間の多くの人が、「日本のヒップホップを代表するアーティスト」を答えられないと思う。答えはないけど、誰の名前も出してもらえないのはあまりにも寂しい。ちょっと音楽を聴く人なら、今だとCreepy Nutsぐらいは知っているだろうか。いつも布教活動を数組の売れてるアーティストに任せるしかないジャンルだ。

しっかりと思い直し、僕も好きなものを好き、すごいと思ったことにすごいと言っていこう。まずはそこから始まるのかもしれない。

さよならポニーテール『青春ファンタジア』

全曲ノスタルジックってどういうことなの。
まさかこんなに長く活動を続けてくれるとは、このアルバムが出たときには思わなんだ。最近は世界観が濃くなりすぎている感もあり(好きだけど)、このアルバムの頃が一番好みだ。

初回盤だかについているDISC 2で当時のBiSとlyrical schoolをフィーチャーするセンスも最高だ。11月にまたさよポニのアルバムが出る。買う。

ヒップホップの話をしておいて、最後これかい。

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