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③消えていく表現~創作仮面館・近藤直子・残雪~

数年前、NHKを見て釘付けになった番組がある。
「ドキュメント 20min ~表現しなきゃ生きられない」に登場した、
栃木、那須高原に存在する「創作仮面館」だ。

「ストレンジナイト」と名乗る、謎の人物が、猫以外家族のいない中、黙々と仮面を作っている、だけ。映像はないが、80年代の歌謡曲を聞きながら、ノリノリで作業しているストレンジナイト氏に、笑いを浮かべた。

今年、調べてみたら、この、ストレンジナイト氏は、亡くなっていた。
2018年に。

結構ショックを受けた気がする。何も評価されず、人知れず異様な表現を積み立ててきた人物の死。今この館がまだ現存しているのか、それもわからない。

また、もう一人、死がわかって動揺したのは、翻訳家、近藤直子のことだ。

こちらは2018年どころか、それより3年も前の2015年にお亡くなりになられていた。しょうがない。しかし問題は、上記どちらのリンクにもある、彼女のHP「中国現代文学と残雪」がリンク切れになってしまっていることだ。
彼女の最大の仕事ともいえる、中国のカフカといっても過言ではない作家、残雪についてのHP。それすら消え去ってしまっていた。正直その管理体制に疑問が浮かぶが、なくなったものは、なくなった。もう戻っては来やしない。
完璧に精読することいまだ敵わずなのだが、残雪の『かつて描かれたことのない境地』 (平凡社、2013年)は今回の俺の脚本の創作にも少し、影響を及ぼしている。この本では、おそらく近藤直子女子と意志を共にする方々の共訳で成り立っていたので、彼らが翻訳業務を継承してくれることを望むが、
2015年以降の残雪の小説は、未だ訳されていない。
訳されない残雪の小説は、きっと永遠に俺たちは見ることが出来ないだろう。海外で高い評価(ブッカー賞にノミネートされている)を受けていても。


表現をしながらも、倒れていった人々。
そしてその大半が、死後忘れ去られる。
それによって断たれそうな、遠い国の表現の水脈。

売り上げや動員といった双六ゲームや成り上がりストーリーとは無縁の、冷たい風に吹きさらされた表現がある。
しかし俺の筆はそれらを拾い上げることでまだ生きていけている。
ここに残すことで、ストレンジナイト氏と、近藤直子女子、その功績を、また俺が何かしら変調して物語として打ち出す。打ち捨てられた音楽のビートのみを抜き出すように。カッコつけて言っているし、その能力の低さたるや、と思うのだが、いまだ俺はその作業をやめてはいないのだ。やめてはいけないのだ。

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