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【2021年ベストソング】「GIRLS' LEGEND U」


私は必ずしも「競馬は人生の比喩だ」とは思っていない。
その逆に「人生が競馬の比喩だ」と思っているのである。
この二つの警句はよく似ているが、まるでちがう。
前者の主体はレースにあり、後者の主体は私たちにあるからである。
(「栄光何するものぞ」より 角川文庫「馬敗れて草原あり」)


これは競馬に狂った人間の狂った世迷い言だろうか?
でもこれが本当なら、むしろあなたが狂っているのか?
あなたは、わたしは、
その「狂っていること」に意識的でありえているだろうか?
そしてその狂った感情に、「夢」という言葉を与えてはいないだろうか。

結局コロナだなんだでいつもの夜遊びができないまま、
いつの間にか季節は一気に凍えるようになり、
また自分は日々に疲れ近くのネットカフェの個室に籠り、
この2020年代にニコニコ動画なんぞを観賞する。
再生数、144万の動画を再生する(投稿が2021年なのに!)。
そしてその曲が流れる。「GIRLS' LEGEND U」。

hard-fi/surbabian nightsのチャントのイントロが鳴りひびいたあと、
bpm170越えのKLAXONS/Gravity's rainbowの上でアニソンが疾走するようなもんだ。
こんな曲を幕開けに今年サービスを開始したゲーム、
「ウマ娘 プリティーダービー」。
これが男性向け美少女ゲームのソシャゲ版を謳いながら、
別の側面において、この「競馬」というものから源流が来ているゲームが、資本主義社会で生きる人間の姿を描写すると、
シリアスにとらえているヒトビトはどれくらいいるだろう。
強くなければ生きる価値のない競争馬の世界こそ、この世界の真実ではないか。
夢と、狂気と、資本主義。その原液を何倍か薄めた世界。
そこに、自分たちは経っている。
冒頭から引用した寺山修司の言葉を待つまでもなく、我々は競争を強いられ、そこからのべつなく転落していく。
ルッキズム、年収、出世、フォロワー数、数字、順位、数字、数字。
もう資本主義に生きるヒトビトにとって、その強いられる競争は、「格差」という言葉で、より鮮明になっている。
その恐ろしさ、残酷さを時に糾弾しながら、それでも我々はその世界に生きている。
それを罠の中にいるということもできるだろう。だがその罠を薄め、あるいは利用することを「ハック」というなら、
それはまさにここに生きる、僕の姿でもある。そしてその旨味をまた卑怯にもすするのだ。

狂ったことでもある。
それはわかっている。わかっていて享受する。
時々競馬で勝つことの旨味もそれだ。
そんな現実にべったり張り付いたゲームだからこそ、自分はこのゲームに、そして「競馬」に猛烈にはまっていった。
予想屋から「勝利」という欺瞞のチケットを時にもらい、
狭いゲートに押し込まれ走らされる、巨大な資本が生産する動物に、
愚かにも時に「夢」すら謳う「金」を乗せて、
そこに「言葉」を「物語」を見てしまう。

「バターを切る熱いナイフのように」
「解き放たれた矢のように」

美しい言葉が生まれ、その死にヒトビトが愚かしくもむせび泣く、
この狂った営みを愛している。

曲は2回目のサビを走り、いきなり荘厳な展開に突入する。
「勝ちたい 勝ちたい 勝ちたい」とこの曲が3回歌う時、その構造が否応にもさらけ出されてしまう。
勝った場所にいる私たち。それでも勝てていない私たち。
勝利が何なのかもわからず、
「事実」という残酷さに立ち向かう刃にすらなっていく。
今日も馬が走る。人間が走る。私が走り、君が走る。
最後の最期まで止まらないで走る。
わたしはいつのまにか誰のページかもわからないウェブの荒野にまでタブを走らせてしまった。


人生は終わりのないレースである。
追いすがる我々に何馬身差もつけて、はるか彼方へと自分のレースを駆け抜けて去って行った寺山修司が、そのことを思い出させてくれる。
そしてどんなに悪条件でも、このレースを途中棄権することはできない。
生きているかぎり、走り続けなればならないのだ。


ニコニコ動画の「GIRLS' LEGEND U」の動画の最後、
いつもこんなコメントが走っていく。
「さあ、夢を見よう」
その余地は、この場所にまだ残されている。


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