雑記_小半年寝太郎_20231003


三年寝太郎という男がいた。

一日中寝ていて、村人から怠け者と嫌われ、寝太郎と呼ばれている男がいた。

ある年、村は日照りが続いて田んぼに水がなくなってしまった。

その日、寝太郎は動き出した。

山の上の大きな岩を掴み、崖下に落とした。岩はその下にある川の流れを変え、村の近くまで水が届くようになり、田んぼにも水を引くことができた。

寝太郎はただ寝ていたのではなかった。どうすれば村が助かるのかをずっと考えていたのだった。

…本当にそう思うか?



10月に入って過ごしやすい気候になってきた。昼間の気温は大体20度前後。10:30頃に起きて這いずりながらカーテンを少し開ける。

眩しい光が目を焼いた。窓を開けて換気し、布団を干す。クソみたいに曇り空が続くこともある新潟で、日光は貴重なリソースだ。

カーテン全開。暖かい日差しを全身に浴び、パンを齧りながら半裸で日光浴。程よい温度が気持ちいい。ビタミンDの生成と、幸福ホルモンの放出を感じる。嘘。そんな気がしただけ。でもリラックス効果はしっかりと感じた。

暖かさに目を閉じる。安らかな二度寝。ニートと学生の境界線。緩やかな時間の流れを感じる。

基本的に週に一回ある大学のゼミを除いて、普段の俺の暮らしはそんな感じだった。そろそろ中間発表があるため少しだけ作業をしなくてはなと思う。まぁ、明日やるか。と横になる。

睡眠のコスパはとても良い。暇な学生は時間だけはあるが金はないので横になって日向ぼっこするしかないのだ。まぁ、引き篭もりだがパチンコとかに行くよりかはよっぽど精神衛生的にも良いなと思った。ゲームやYoutubeやアマプラを見て深夜に俺のその日は終わる。

最近はまだら牛さんの狂気山脈を見ることにハマっていた。マダミスじゃなくてtrpgの方な。登山家のフリした一般人が口のうまさだけで紛れ込んで嘘で固めて登り始めて、最後には本当の登山家となる卓があって(自己解釈)非常に面白かった。人として生きるか登山家として死ぬか。狂気が山に蔓延っていた。

Youtubeでは昔の職場の先輩がライブ配信をしていた。身内しか見てないような数人規模での雑談。声を久しぶりに聴いて懐かしい思い出がよぎる。今も元気にやってるらしい。滅多に書かないコメントを送れば、今度メシを奢ってくれる流れとなった。言ってみるもんだ。ラッキー。

基本的に人気のVTuberやツイッチのストリーマーとかしか見てないが、たまーに数人しか見てないライブに入ってコメントするのも侘び寂びがあって良いんよな。〜〜をする事でしか得られない心の栄養素とかそういうのってあると思う。

あとデモンズソウルを買って遊んでいた。道中がクソめんどいところが多く、しょうもないデスで萎えながらも少しずつ進めている。頭に布巻いたキモい変態を倒し、色の無い霧を超えたところだ。デモンズは道中込みでのボスって感じで、エルデンリングが恋しくなった。マリカの像をボス前に置けや。

大体そんなで3か月ってところか。3か月のことを小半年(こはんねん(とし))とも言うらしい。知らんかった。

社会に戻れるかどうかが、少しだけ不安だった。

行動には、ある種の慣性の働きが作用すると思う。

週に一度サウナに行くやつは来週もサウナに行くだろう。毎朝ランニングをしているやつは明日の朝も走りに行くだろう。

急激に行動パターンを変えることは大きな力が必要だけど、やり続けることはそんなに難しくないってこと。

明日も俺はカーテンを開けて、メシを食べ、Youtubeを見て、そして寝るだろう。そんな暮らしを送り続けるだろう。

今はただ、そう思った。

何かがこれを変えて欲しいとも思った。このままでも良いと、そうも思った。



三年寝太郎は寝てばかり。

一見、ただ寝転がっているだけの怠け者。村の皆がキレていた。しかし、村の危機には立ち上がって田畑に水を引いてきた。

その後の彼はどうしただろうか。きっとまた寝たと思う。話の続きを俺は知らない。一時の英雄的な活躍だけが切り出されて後は分からない。物語ってそんなもんか。

三年寝太郎が三年寝太郎になるまでにはどんなストーリーがあったのだろうか。何で寝てばかりいるようになってしまったのか。

三年前の寝太郎は、きっと真面目なやつだったと思う。

だから今も寝ているんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?