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ネタバレあり:ゲ謎の水木サン

自分はこう・・・、その実なんか滅茶苦茶は(ポイント:強いには強い)強くないんだろうけど、強くあろうとしているキャラが好きで・・・。

ゲ謎、アマプラ解禁してから見て、水木というキャラがドツボにハマってしまって・・・その話をしたいと思って記事にしました。

常時ギラギラしてて、戦う意志の強い男は好きだぜって話です。


〇ゲ謎の水木サン

実は「墓場鬼太郎」は見たことがあって、そのころに出ていた「水木」は知っているんです。只あまりぱっとしないというか、すごいギラギラ野心に燃えているというよりは、物語において最も妖怪との接点が近いキャラクターとしての役割程度の出番しかなかったので、あまり目立つキャラではなかったのかなあって印象のキャラクターでした。物語後半でいなくなってしまうし。

そしてゲゲゲのアニメの方で・・・、

ゲゲゲの鬼太郎のアニメについては、第6期(第6シーズン?)は存じ上げないというか、視聴はしていないのですが・・・。
関連作というか同列の世界線という事は事前に耳にしていました。只6期を未履修でも楽しめる仕様と伺ったので、アマプラ解禁時に視聴した、といった経緯になりますね。

墓場鬼太郎の方、どっちかって言うと人間側の狂言回しポジションだったと思います。

6期のアニメ中に水木サンは出たんでしょうか?年齢的に見ると、ちょっと厳しそうな気もしますが・・・すでに故人なのは確実かもなーって思っているのですが・・・。

はなしがそれましたが、本編の水木はとてもかっこよかったです。
バディであるゲゲ郎が基礎スペックが「妖怪」なのでどうしても人間の水木と比べると水木は・・・見劣りしちゃうんですけど、要所要所でキーマンとしての活躍をしてくれて、そこがとってもかっこよかった。

後思うに、元々はそんなに「強くない」人間なんだろうなって思えるところが良いなって思って・・・。強い事を周りに示して回るというか、無理して強くなろうとしている感じがして、そこが良いなあって思ったのです。個々見出しにして、書いていきたいと思います。

〇水木のスペック

名前からもわかるんですが、おそらくいろいろと出自云々は原作者の水木しげる先生をベースにされているんだろうなってのは強く思います。水木先生は結構作品内に登場していますし・・・。
その設定もあって、「のんのん婆」を作中で御守りの乳母がいた設定として引き継いでいるのを見ると・・・生まれの出自は「ソコソコ裕福」な家だったと思うのです。

のんのん婆


結構あの時代でも乳母代わりのおばあちゃん(祖母ではない)のような言ってしまえば使用人がいるってのは相当デカイ家だと思うんですよね。そこで育ったのかな、一人っ子?なのかもしれないですがあまり兄弟とか家族関係に言及はありませんし・・・。
男兄弟であって、兄が居たりするとしたら、まあ水木本人同様出征しているだろうし、あの描写から見る限りいたとしたら戦死は確実だと思います。
弟や女兄妹がいたとしても・・・、戦後の描写見る限りでは母以外は亡くなっているのかな。父親については言及されていませんが・・・、水木の年齢を見る限りでは出征できるような年齢ではないでしょうし、やはり母以外の直接血のつながった家族は亡くなってしまった、と言うのが正しい理解なのかもしれません。何なら、第二次世界大戦前の日中戦争等で亡くなっているのかも・・・。大分うがった見方ですけどね・・・。

結構裕福だろうと考えられる家庭に生まれ・・・、出征して生きて帰ってきたら母以外死んでいた・・・ってのはなかなかにキツイ話ですよね。

そして財産のはなし。家の財産もろとも、「親戚」に持ってかれてしまったと、言及が確か作中であったはずです。母しっかりしろよ!って意見ももしかしたらあるかもしれませんが・・・、家族構成が不明であるとはいえ、あの時代において大黒柱となる主人を亡くしたと思われるうえで生死不明とはいえ恐らく南方で戦死しただろうと思っていた水木のことを考え・・・パニックになっていた部分もあると思うのです。そんなメンタルじゃあ・・・騙されても責められないと思うのです。

そして「もう死んだ」と思っていた息子の水木が帰って来て。泣き崩れる母・・・。そして水木はこの世の不条理に「うんざり」するんですよね。
そして・・・力を強く求めるようになるわけで。何も持たないやつは泣くしかない世界だったわけです。現代もそうだと思いますが、今よりももっと過酷な時代であったと思います。戦後の時代は・・・。
今言った水木が求める「力」ってのは権力も含めますが、おそらく「要領よく立ち回る」みたいなそういった世渡りのうまさも含めた社会で駆け上がっていく為の「力」を求めたんだと思います。

水木、スーツスゲー似合うよね


〇軍隊と戦後

この見出しを書こうと思ったとき、今も昔もあんまり変わらないかもなって思ったのです。
先に現代のはなしからすると・・・、この我々が生きる現代においても、新社会人とかって、新卒入社後に研修をしたりするらしいじゃないですか(自分はサラリーマンではないので未経験)。
流石に今の時代明らかなパワハラじみたことは減ったとは思いますが、実家の近くに某矯正施設のようなところがあって。駅前で社訓を叫ばせるようなやつです。界隈では有名かもしれないあの施設。あそこに何人か知り合いもつれていかれてたのを見ていたんですけど、「アイデンティティ」を最初に壊してその後会社の動かしやすい「駒」にするために教育するっぽいんですよね。

これは必読ですよ。世界線は違えど・・・伝えたいテーマのひとつでもあると思うのです。


これってやってること、軍隊と変わらねえよなーって思うのです。もちろん自分は軍隊に所属したことはありませんし、当時の日本軍のことについては伝聞であったり、記録を参照することでしか追体験できないので、リアルな内容を書き記すという事はできないのですが・・・。
当時の日本軍も、まず入隊してからはしごきにしごいて、その人間のアイデンティティを一度崩して、国の為に戦えっていう兵隊に仕立て上げるわけで。

水木も例外なくその洗礼を浴びたと思うのです。水木って多分、生まれも加味して考えるとそんなに不自由なく育ったのだろうと思うところもあり、元々はそんなにガツガツした競争心丸出しだったりハングリーさって持ってなかったんじゃないかなって思うのです。どちらかと言うと他人には割とお人好しと言うか優しいというか・・・いわゆる生まれ持った「気質」って奴です。
作中でも隠し切れない「やさしさ」が出てますよね。あとは・・・ちょっと「弱い人間」だったんだろうなって思うのです。いや、悪い事じゃないと思うのです。生まれながらにメンタル面等スペックが強い人はいますが・・・、水木はそうじゃなかったんだろうなーってすごく強く思って。

だからこそ、アイデンティティを破壊され、「戦争に勝つ」と仕込まれた兵隊として戦地に赴いて戦友がぼんぼん死んでいく中・・・、どうせ自分も死ぬのだろうと半ば諦念もあったと思う中・・・運よく?運悪く?生き残ってしまって。そして「(戦友たちの多くは死んだのに俺だけ)生きて帰るのか」と言った複雑な感情を持ち合わせていざ帰国したら出征するまでは綺麗だったと思われる街が焼け野原になっていて、家もなく財産も取られ家族は母しか生き残っておらず・・・。「からっぽ」になってしまったと思うのです。

何のために戦ったのか?
どうして自分だけ生き残ってしまったのか?
あそこ(南方)で自分は死ぬはずだったのでは?玉砕だったのに?
どうしてこんな理不尽な目に合わなければならないのか?
この先はどうなるのか?
かつて上官であった人達は物資の横領などでまた私腹を肥やしていて。
弱いから?自分が弱いからこんな理不尽を受けないといけないのか?

こんな葛藤と言うか、そういった自身の中での問答があったのではないかなと思ったのです。
そして・・・まあ「自棄」気味に強さをがむしゃらに求めるようになったのではないのかなあって思うのです。それこそ元々あった気質の「やさしさ」とかをかなぐり捨てても、他人を蹴落としてでも駆け上っていこうという性格に「無理やり」自身で矯正しちゃったのかなって思うのです。強くあろうとして・・・無理してペルソナ被ったんかなあって思うんですよね。
元々の根本と全く真逆の性質をかぶろうとするからいびつな精神状態になるし・・・、元々戦場帰りでもあるわけだから、PTSDの要素は満たすと思います。
そりゃ毎日悪夢見るよなーって思うわけで・・・。

〇作中のシーン1

そんな経緯もあって、無茶するくらいガツガツしてたんだと思います。
あの経緯で「強くならないと」ってなって出世欲に目覚めた世界線がゲ謎で、そこまで強くなろうと思っていなかった世界線が「墓場鬼太郎」って確か明らかにされてましたよね?

あの村に行くか否かが一つの分岐で、ただ鬼太郎を拾うって結末は変わらないし、秘薬である「M」の件についてもゲゲ郎が一人で解決するか、バディとしての水木がいるかどうかの違いで・・・。

ただそれぞれの違いは、育てた鬼太郎の情緒がちょっと変わるっぽいのがイイですよね。

はなしを元に戻して・・・作中では、序盤はホントにギラギラした野心に溢れた男!って感じに描かれていると思います。
自ら死地(村のいわくは多少耳にしていたと思う)に突っ込んでいくのもいとわないあたり、覚悟決まってるなーって思うのです。まあ・・・もう守るものが「ない」って点で半ば自暴自棄な気持ちもあったと思うのです。
捨てるものがない故、もう自分はやることやるしかなくて、それなら上っていってやろうって考えかなあって思うのです。自死するよりは、もうこの命、捨ててでもこの理不尽な世の中に一矢報いてやろう!って気持ちかなあ・・・って。

この時点で誰もかれも利用してやろうって感じの性格を演じる(演じるよりはもっと強い意味だと思って・・・例えるなら、ペルソナをかぶるのが正しい表現かも)わけで・・・。

ただ根本的な優しさは抜け切れてないと思うんですよね。
村に向かう列車のシーンで、あの時代って多分自分が生きていないのでわかりかねるんですけど、タバコを吸うのが当たり前くらいの時代で、列車内なんてまあ作中の描写通りタバコの煙だらけだと思うんですよね。それが当たり前だったし、それをとがめること自体まず現代の発想と言うか・・・。咎められるべきって視点すらなかった時代だと思うのです。
その時、車内の女の子(例の拉致される子)がせき込むところで、水木はふっと一瞬だけタバコを吸おうとすることを躊躇うシーンがあるんですよね。その後吸いなおしたかどうかはちょっと覚えていないのですが・・・、一瞬でもあの時代に、あの当時の常識の中で一瞬だけでも「手を止めた」描写は彼のやさしさから来ているシーンなのかなあって思うのです。

ただ純粋にタバコを手に取ったとき咳をした子がいて、そちらに気を取られただけって言われればその程度かもしれませんが・・・。

さよちゃんを利用する男 でもまあお互い利用する魂胆だったろうし・・・。でも初見で「たった数度あっただけの」男にいきなり勝負服いくのか!?ってビックリしたシーンでもありました。

そして下駄ですね。下駄の鼻緒を直すシーンで・・・、明らかに事前の情報で彼女が何者かは知っていたはずで、それはそれで利用してやるつもりで明らかに近づいているわけで・・・、まあさよちゃんも同じ思惑だったわけですけど・・・。ギラギラした野心溢れるパワーのある戦場帰りの傷跡有のイケメンが居たらまあそりゃあなあ!?って思う気持ちもあるんですけど・・・。
水木、そんな自分を武器にして突っ込んでいっているのはすごいかっこよかったし好印象でした。利用する気満々だったってのも加味して・・・。

ここまで大きくはないけど古い家ってこういう広間が少なくともありそう。祖先の肖像画が飾ってあったりしますよね。

で、あの田舎のアレですね。親戚集まる奴。あれリアル~~~って思ったんですよね。
田舎のお葬式、自分がガキの頃までなんかあんな感じだったなあって思うんです。今だと、どこももうそういう形式にこだわる「お年寄り」がみなもう旅立たれているので、基本ないんですけど・・・。あの描写は下手したら10年くらいまでは田舎だとあったんじゃないでしょうか。今でもあるところはあるかも。

まあそれはそれとして・・・、あの中に飛び込んでいけるのは強いですね。
流石戦場帰りと言ったべきか、元々の性質があるのか・・・。他者をものすごく排斥する傾向にあった田舎で、その地方の「豪族」と言ってもいいような家の家主が亡くなった葬式に単身で突っ込んでいけるのは強いですね。
いくら社長という味方がいたとしても、中々あそこでキッと相手の目を見てハキハキとしゃべるのは勇気がいるはずです。
このシーンだけでも、やっぱり「強くあろう」って思った結果ある程度は「強くなっている」描写なんじゃないかって思うんです。水木。あそこで少しでも物怖じしてたらダメだったかもしれない・・・。

〇作中のシーン2

ゲゲ郎と出会って・・・最初水木は多分ゲゲ郎に対して「コイツは弱い奴だな」って思ったと思うんです(セリフもあったと思う)。
だからこそ、他人を足蹴にして上ってくつもりだった水木はゲゲ郎にウソついたわけで・・・。この時は相手が妖怪なんて知るわけもないのだからしょうがないのですが・・・。水木がすごい人間くさいのに対してゲゲ郎は優しすぎるってくらい優しい人ですよね。

ちょっと舐めた感じがイイですね この辺りはおもっきし見下してる当たりがイイ

ほんでまあゲゲ郎との交流が始まって・・・次第にこうお互いの人となりをちょっとずつわかって行くわけですよね。

それと同時に並行しておこる猟奇殺人と言うか・・・人死にが起こるわけで・・・。まあ死に方が「人間ができるソレ」じゃないってのもあって、ゲゲ郎に「妖怪」のようなものだと言われ・・・、妖怪は「見ようとしないから」見えないって言われて水木失神しますよね。(あの瞬間、水木は見ようとしたから見えるようになった?多少なりともゲゲ郎の影響もありそうですけど・・・、いきなり確かにそこら中にうじゃうじゃ妖怪が見えたらビックリするかも・・・)

あのシーン、根本にある水木の「弱い人間」の部分なのかなあって思うんです。ガチモンに強かったら失神なんてまあ・・・しないかなあって・・・。でもなんだかんだ介抱してくれたゲゲ郎に対して、突っかかるくらいの気概はあって。アレは何の意図で突っかかったんでしょうね。哀れまれたから?
ちょっと違う気がするのです。ひた隠しにして自分ですら見ないようにしてた「本来の弱い自分」が見えちゃったのを隠したかったのかなあって思っています。

まあその実水木の強さ(弱さ)は・・・よくわからんのです。実際湖の孤島にゲゲ郎追って乗り込んでいった際も鼻血出しながら追ってはいけているわけで・・・。単純にその時は「視えていなかったんだろう」と解釈していますが・・・。身体面ではとてもタフではあると思うんですよね。精神面で・・・普通の一般人よりなのかなあって。強がってはいるけれど・・・と言った感じで・・・。
うーん、難しいですね・・・。

〇作中のシーン3

諸悪の根源との近〇相〇の件が分かった時・・・、ゲロってましたよね。
そりゃあまあ普通の感性ならゲロるけど・・・強い人間って多分あそこでドン引きはするけど、ゲロるまではいかないなって思うのです。
そこら辺が上述した時折まろびでる「水木の弱さ」なんだろうなーって思ってて。

だって古今東西、強い部族であったりそういった人間の「群れ」では強さや血統の維持のためにそういった上記した内容を行うことって、往々にしてあったことですし、さすがに今は医療・生育の面でデメリットだらけだからとわかる分ないだろうとは思いますが、一昔前まではあったと考えているし、何なら日本に限らずこういった案件は世界中にはびこっていたと考えています。

自分は初見で見たとき「そこまでオーバーなリアクションとる?」って思ったけれど・・・。

まあ可哀想ではあるけど・・・、そういった「いわく」のある村だしあって当然だよナア・・・って自分は思っていたのですけど、これって視点が「神の視点」になってて、そこの視点から物語を見ているからこそそう思えるだけで、水木視点に立ってみたら、同じような気持ちになれるのかもしれません。
いずれにせよ、このシーンも根本にある「水木の気質」を描いているかなーって思うのです。

〇作中のシーン4

引き返して・・・カチコミ決めたシーン。
いやーよく銃あてた。かっこいいぞおおおおおって思ったシーンです。以降もかっこいいシーン(斧もって突っ込むとか)も多かったですが、ゲゲ郎復帰でパワー的な活躍は控えめになりましたね。でもバディとしてゲゲ郎が水木を信頼してたのはとてもよかったです。
ツケは払わなきゃなあ!って決めたし、すごい良かったなーって思います。

あの「ツケ」はいろんな思いがこう重なり合って万感の思いを込めての発言だったのだろうな・・・と思うのです。秘薬であるMと・・・戦中戦後・・・いろいろな自身の気持ちも含めて・・・国とか上官とか軍とか偉い人とかそういった人たちに向けての「ツケ」だったんじゃないかなあって思うのです。只の一等卒だった水木が自分より大きな力(権力等の意味での力)に対しての「やりきれなさ」を言語化したものなのかもなーって思いました。

それも含めて、最後のシーンは良かったですね。

そして・・・ことごとく人に気遣いできる男になって・・・。と言うより、力を求めることをちょっと放棄して、他人を助ける事を優先しだした節が水木は後半ありますよね。元来のやさしさが押し出されてきたというか。
さよちゃんの最期のシーンであったり・・・、ちゃんちゃんこを奥さんに着せてるシーンだったり・・・。根底にあるやさしさがすごくはっきり見えて、本来の自分に戻れているのかなって思えたのです。

お互いの本音を話し合ったあのシーンで・・・でもやっぱり水木は自分の「無価値さ」っていう思いを捨てきれてないんだろうなあって思うのです。

ただそれはそれとして、もう自分には守るものもないし空っぽだから、「価値がない」って言う風に思っているからなのか自分の身体の安否等はかなぐり捨ててますよね。
それについては、上述したようにもう何もないからこそ物語序盤は野心ギラギラで捨て身で行動してたけど・・・、他人を守ろうと思うようになって以降も捨て身であることには変わりなくって・・・、自分を大切にできてなくって・・・。水木にとってもう他人>>>>>>>>>>>>>自分なんだろうなって思えて、ちょっと悲しくもなるシーンでもありました。

〇鬼太郎と会って

物語の終わりに・・・、EDで鬼太郎と会ってからちょっとは水木は変われたんでしょうか。。きっとまもるべきものができて、大切に育てたのかなあって思うのです。だけど・・・多分・・・自分を「価値がない者」と死ぬまで思っていたんだろうな・・・って思うのです。だからこそ他人第一に考えられたともいえるけれど・・・、ちょっとそうだとしたら悲しいかもしれない。
でも・・・それでも・・・生きた証として・・・鬼太郎が居てくれたのは良かったのかもしれません。

誰かに忘れ去られてしまったときこそが本当に死ぬときなわけだから・・・、鬼太郎が水木のことを「覚えて」いてくれるのであれば、水木はきっと生きた意味があった、生きた証を残せたのだと思います。




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