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なぜnoteを3年もタラタラやってるのか

2020年の暮れにnoteを始めて、なんだかんだで3年が経とうとしている。ムラはあれどだいたい月に一回は記事を上げているペース。

なぜこんなにローペースでも続いてきたのか。
それは、自分の感情をどこかにストアしておかないと忘れてしまうような寂しい人間だから。だからなんとなくでも続いてきたんだろうなと。

言葉に起こせない感情をそのままにしておきたい気持ちもあるけど、それよりも忘れてしまうことの方が悲しくて。言葉にするべきじゃないようなこともたくさん書いてきた気がする。
言葉にしたら、その形を纏って歪んで記憶に残るかもしれない。言葉に縛られた記憶になるから。実際に、自分でnoteやツイートを見返したときに、この時はこんな気持ちだったんだな、と今の自分がその文字の並びから感じることを、当時自分が感じたこととして記憶を保管している。

どうしても気持ちを、記憶を文字にすることを辞めたくない。どうせなら歌にすればいいのにとも思うけど、そこまでの力が湧かなくて、自堕落で消極的な理由で書いてる。

とにかく。文字にすることへの、記憶を歪ませる行為への抵抗を、記憶が消えていってしまう悲しさが上回ってしまっている。だからこうして誰に向けてもいない、ただ自分のためだけに向けた文字を連ねている。そこに誰か見てくれてたら嬉しいなっていう承認欲求が乗っかってるから一応世界にひらけたnoteに書いている。

ただ、それだけ。

感じたことを残す方法はいくらでもあるから、もう少し綺麗な、友人にも胸張って見せられるようなパッケージの表現をコンスタントにできたらなあ。

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