おいしいごはんが、食べたい
ご飯は、おいしいときとそうでないときがある。私の思うおいしいごはんは、誰かと食べるごはんだ。もっと言うと、好きな人、仲のいい人、大事な仲間と食べるごはん。これはやっすい居酒屋のぱさぱさ唐揚げでも、好きな人たちと食べれば、おいしいと思う。そうでないときは、ただの栄養補給に過ぎない。たとえそれが、好物のオムライスだったとしても。
最近、おいしいごはんを食べていない。理由は言わずもがな昨今の情勢である。心配性な私は、首都圏に住んでいることや、3密を避けられない勤務環境なのもあって、もう半年以上、家族以外の人と食事していない。だから、食べたい。
その想いが先日、一層強くなった。
きっかけは、職場の同僚と一緒に帰ったことだった。実は彼女は、自分の2倍以上年上なので、本当は同僚というより先輩と呼ぶべきなのだろうが、立場的に上司ではないし、先輩と呼ばれるのはきっと彼女が好きではなさそうなので、同僚と言うこととする。彼女とは、出会ってまだ半年も経たないが、ウマが合うのか、プライベートな話もするほど仲良くなった。
その彼女と先日、仕事が終わったのがたまたま同時で、しかも電車も途中まで同じということだったので、一緒に帰ることにした。1時間弱だろうか、初めて業務外で、長い時間おしゃべりできた。仕事の話、誰かの噂話、それぞれの話、食べ物の話、いろんな話をした。
職場のおじさんの真似をしては笑い、「課長って人使い荒いけど、どこか憎めないですよね」「あら、あなたもそう思うのね!わたしもよ!」と言っては笑い、「わたし、アイスなら爽が好きよ」「私はハーゲンダッツが好きです」「あら!それなら今家にハーゲンダッツのクーポンあるから、今度持ってくるわ!」「え、いいんですか、ハーゲンダッツはあまりお好きでないのですか」「ふふ、それは若い証拠よ、おばさんになるとさっぱりしたアイスが好きになるの」「じゃあ私がそうなった時、一緒に爽食べましょうね」「やだ長生きしなきゃ!」とまた笑い…。
会話の中身は違えど、まるで学生の頃のようだった。中高生が、学校の帰りに、あーだこーだ言いながら、だらだらと帰る、あの感覚。数年ぶりにその感覚が蘇ってきて、私は懐かしさと幸せを感じた。このまま時が止まればいいと思ったし、ずっと駅に着かなければいいと思った。
もうすぐ二人の離れる駅に着こうかというころ、同僚から思ってもみない提案があった。
「そうそう、今度、女子会しましょ!ほら隣の部署のタナカさんいるでしょう、彼女と前にね、3人で女子会したいねっていう話をしてたのよ!もし貴女が良ければだけど…」
タナカさんは、同僚と同じくらいの歳の方で、同僚と仲の良い女性。そして私もお世話になっていて、なぜかそのタナカさんとも、私は仲良くさせてもらっている。
そんな、同僚とタナカさんの仲の良さに入れてもらえるなんて。しかも女子会。素敵な響き。なんと素晴らしき哉。
「え!!行きます!絶対!ありがとうございます!!」
もちろんYESである。断る理由はない。赤べこのように頷きながら答える私を見て同僚はとても笑ってくれた。
昨今の状況では(2020年7月)、諸手を挙げて楽しく飲み会、とはいかない。NEW NORMAL-新しい生活様式-で行くとしても。
女子会が行われるのはもう少し先になるだろう。いつになるかもわからない。しかし、同僚の
「でも、どれだけ経っても、きっといつかやりましょうね。」
の一言があるから、私は待っている。
だから早く、
おいしいごはんが、食べたい。