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『夢見る男の奇妙な日々』

第1章:日常の裂け目

俺の名前は田中誠。48歳、いわゆる平凡なサラリーマンだ。人生の折り返し地点をとうに過ぎ、気がつけば残りの人生の方が短くなっていた。そんな俺の人生を一言で表すなら、「何をやってもうまくいかない」。

朝、目覚ましの音で目を覚ますと、いつものように重たい空気が部屋に満ちていた。カーテンの隙間から差し込む光は、まるで俺の人生そのもののように薄暗い。起き上がろうとするが、体が言うことを聞かない。ああ、またか。

「誠、起きてる? 朝ごはんできてるわよ」

妻の声が階下から聞こえてくる。彼女は俺のことをよく理解してくれている。だからこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。結婚して20年。子供はいない。それも俺のせいだ。

「ああ、今行く」

重い腰を上げ、階段を降りる。リビングに入ると、テーブルの上には味噌汁と焼き魚、そして小鉢が並んでいた。妻の和美が優しく微笑む。

「おはよう。今日も頑張ってね」

「ああ、ありがとう」

俺は照れ臭そうに頷き、席に着く。和美の作る朝食は、俺の一日の中で唯一の救いだった。

食事を終え、家を出る。駅に向かう道すがら、ふと空を見上げる。どんよりとした雲が低く垂れ込めている。まるで俺の気分そのもののようだ。

電車に乗り込むと、いつもの光景が広がる。スマートフォンを覗き込むサラリーマン、化粧に余念がない女性たち、そして疲れ切った表情の中年男性。俺もその一人だ。

会社に着くと、すぐに部長に呼び出された。

「田中君、新しいプロジェクトを任せたい」

その言葉に、俺は内心で溜め息をついた。どうせまたうまくいかないんだろう。そう思いながらも、表面上は「はい、頑張ります」と答える。

部長の説明を聞きながら、俺は窓の外を見た。そこには、青い空が広がっていた。さっきまでどんよりしていた空が、いつの間にか晴れ渡っている。不思議に思いながらも、俺は説明に耳を傾け続けた。

その日の帰り道、いつもと同じ駅で電車を降りた。家に帰るだけの日々に、どこか物足りなさを感じていた。ふと、駅前の小さな公園に足を向けてみる。

ベンチに腰掛け、夕暮れの空を見上げる。オレンジ色に染まった空が、どこか懐かしい。子供の頃、夢中になって空を見上げていたことを思い出した。

「あの、よろしければこれ」

突然、隣から声がした。振り向くと、そこには小さな少女が立っていた。手には、一輪の白いタンポポが。

「えっ?」

「おじさん、なんだか悲しそう。これ、あげる」

少女は笑顔で言うと、俺の手にタンポポを握らせた。

「ありがとう」

そう言って、俺は微笑んだ。久しぶりの、心からの笑顔だった。

「わたし、美咲っていうの。おじさんの夢、叶えてあげる」

少女はそう言うと、くるりと踵を返して走り去っていった。

「おい、待て!」

俺は慌てて立ち上がったが、少女の姿はもうそこにはなかった。手の中には、白いタンポポだけが残されていた。

その夜、俺は久しぶりに夢を見た。夢の中で、俺は空を飛んでいた。自由に、どこまでも高く。目覚めた時、胸に温かいものが広がっていた。

そして、俺の奇妙な日々が始まった。



第2章:夢と現実の狭間で

翌朝、目覚めると体が軽かった。久しぶりに見た夢の余韻か、それとも…。起き上がり、窓を開ける。爽やかな風が頬をなでる。

「おはよう、誠。今日はいい天気ね」

和美の声に振り返ると、彼女が朝日に照らされて立っていた。その姿が妙に眩しく見える。

「ああ、本当だな」

朝食を済ませ、いつもより早めに家を出た。駅に向かう道すがら、昨日の少女のことを考えていた。「美咲」。その名前を思い出すと、胸がきゅっと締め付けられる。

会社に着くと、新しいプロジェクトの資料が机の上に積まれていた。これから始まる長い戦いを予感させる量だ。ため息をつきながら、最初のページをめくる。

「田中さん、おはようございます」

声をかけてきたのは、新入社員の佐藤だ。いつも元気いっぱいで、正直少し眩しい存在だった。

「ああ、おはよう」

「昨日の夜、なんだか不思議な夢を見たんです」

佐藤は興奮気味に話し始めた。

「夢?」

「はい。空を飛んでいる夢です。自由に、どこまでも高く…」

その言葉に、俺は息を呑んだ。昨晩、俺が見た夢と全く同じだ。

「それって…」

言葉を続けようとした時、部長が近づいてきた。

「田中君、プロジェクトの進捗はどうだ?」

「あ、はい。今、資料を確認しているところです」

慌てて答えると、部長は厳しい表情で頷いた。

「頼むぞ。君にかかっているんだ」

その言葉に、重圧を感じる。でも、今日は何故か、いつもより前向きな気持ちでいられた。

昼休み、一人で外に出てみる。公園のベンチに座り、昨日のタンポポを取り出した。しおれてはいるが、まだ白い花びらは健在だ。

「また会えたね、おじさん」

突然聞こえた声に、俺は飛び上がりそうになった。振り向くと、そこには昨日の少女・美咲が立っていた。

「君か。昨日は…」

「うん、わたしだよ。おじさんの夢、叶った?」

美咲は無邪気に笑う。その笑顔に、俺は言葉を失う。

「いや、まだ…でも、なんだか不思議なんだ。今朝、同僚が俺と同じ夢を見たって」

「ふーん、そっか」

美咲は意味ありげに頷いた。

「ねえ、おじさん。本当の夢って何だと思う?」

その問いに、俺は考え込んだ。夢?俺の夢って何だろう。若い頃は確かにあった。でも今は…。

「わからない。もう、夢なんて忘れてしまったよ」

俺は正直に答えた。

「そっか。でも、忘れちゃダメだよ。夢は、心の中にあるんだから」

美咲はそう言うと、俺の胸に手を当てた。その瞬間、温かいものが全身に広がった。

「さあ、思い出して。おじさんの本当の夢を」

目を閉じると、懐かしい光景が浮かんできた。若かりし頃の自分。小説を書いている自分。そうだ、俺の夢は…。

「作家に、なりたかったんだ」

言葉にした瞬間、胸が熱くなる。

「よかった、思い出せたね」

美咲は嬉しそうに笑った。

「でも、今さら…」

「大丈夫。まだ間に合うよ。おじさんの物語、わたしが応援する」

そう言って、美咲は再び走り去っていった。後には、新しく咲いたタンポポが残されていた。

その日の午後、俺は久しぶりにワクワクしながら仕事に取り組んだ。プロジェクトの資料を読み進めるうちに、新しいアイデアが次々と浮かんでくる。まるで、物語を紡ぐように企画書を書いていく。

帰宅後、久しぶりにノートを開いた。ペンを走らせる。言葉が、想いが、あふれ出す。

「誠、こんな遅くまで何してるの?」

和美の声に我に返る。時計を見ると、もう深夜だった。

「ちょっとね。昔の夢を、思い出したんだ」

俺は照れくさそうに笑った。和美は不思議そうな顔をしたが、優しく微笑んでくれた。

その夜、俺は再び夢を見た。今度は、大勢の人の前で自分の小説を朗読している夢だった。

目覚めると、体が熱く感じられた。夢と現実の境界が、少しずつ曖昧になっていく。

そして、俺の奇妙な日々は、さらに深みを増していった。



第3章:揺れ動く日々

それから数週間が過ぎた。日々は奇妙な色彩を帯び始めていた。昼は会社でのプロジェクト、夜は小説執筆。二つの世界を行き来する生活。

「田中さん、この企画書すごいです!」

佐藤が目を輝かせながら言った。確かに、最近の仕事ぶりは自分でも驚くほどだった。アイデアが次々と湧き、それを形にする喜びを久しぶりに味わっていた。

「ありがとう。君のアイデアも取り入れたんだ」

佐藤の表情が更に明るくなる。チームの雰囲気も、以前より良くなっているように感じた。

しかし、その一方で不安も大きくなっていた。夜な夜な書き続ける小説。それは現実逃避なのか、それとも本当の自分を取り戻す過程なのか。

「誠、最近元気そうね」

ある日の夕食時、和美がそう言った。

「そうかな」

「うん。でも、何か隠し事してない?」

鋭い質問に、一瞬言葉に詰まる。

「あ、いや…ちょっと昔の趣味を思い出しただけさ」

嘘をつくのは苦手だった。和美は何も言わず、ただ微笑んだ。その笑顔の奥に、何か寂しそうなものを感じた気がした。

翌日、昼休みにいつもの公園に行くと、美咲が待っていた。

「おじさん、調子はどう?」

「ああ、まあね。でも…」

「でも?」

「本当にこれでいいのかな。夢を追うことと、現実の責任と。俺は、何を選べばいいんだ?」

美咲は黙ってしばらく考え込んでいた。

「おじさん、夢と現実は別々のものじゃないよ。両方とも、おじさんの人生の一部なんだ」

その言葉に、はっとした。

「それに、夢を追うことで、現実も変わっていくんじゃない?」

美咲の言葉は、不思議と心に響いた。

その日の午後、部長に呼び出された。

「田中君、最近の君の仕事ぶりは素晴らしい。このプロジェクト、君に全権を委ねたい」

予想外の言葉に、戸惑いを覚える。

「はい、ありがとうございます。でも…」

「何か問題でも?」

躊躇する俺に、部長が眉をひそめた。

「いえ、ただ…責任の重さに驚いただけです」

「君なら大丈夫だ。期待しているよ」

部長の言葉に、複雑な感情が湧き上がる。嬉しさと不安が入り混じる。

その夜、机に向かって小説を書いていると、突然のめまいに襲われた。目の前がぐるぐると回る。

「誠!大丈夫?」

和美の声が遠くから聞こえる。意識が遠のいていく中で、美咲の姿が見えた気がした。

「おじさん、無理しちゃダメだよ」

そう言う美咲の声を最後に、俺は意識を失った。

目覚めると病院のベッドの上だった。和美が心配そうに傍らに座っている。

「よかった、目を覚ました」

「ごめん、心配かけて」

「医者は過労だって。誠、本当に大丈夫なの?」

和美の目には涙が光っていた。胸が痛む。

「実は、小説を書いてたんだ」

すべてを話した。夢のこと、美咲のこと、小説のこと。

和美は黙って聞いていた。話し終えると、彼女はゆっくりと口を開いた。

「わかったわ。でも、もう少しゆっくり進めてね。誠の夢、私も応援したいから」

その言葉に、涙がこみ上げてきた。

退院後、俺は仕事と創作のバランスを見直すことにした。美咲との出会いも減ったが、それでも時々公園で会う。

「おじさん、焦らなくていいんだよ。夢は、ゆっくりと育つものだから」

美咲の言葉に、俺は頷いた。

そして、ある日のこと。会社でのプレゼンテーションが大成功を収めた。同時に、書き続けていた小説の一部を文芸誌に投稿したところ、小さな賞を受賞した。

喜びに沸く中、ふと気づいた。夢と現実が、少しずつ重なり始めていることに。

その夜、久しぶりに家族で外食に出かけた。和美と談笑しながら、俺は心の中でつぶやいた。

「ありがとう、美咲」

窓の外を見ると、満天の星空が広がっていた。その中に、かすかに光る流れ星を見つけた気がした。



第4章:交錯する世界

季節は秋へと移り変わり、木々の葉が色づき始めていた。俺の人生も、少しずつ彩りを増していく。

仕事では、プロジェクトが佳境を迎えていた。チームのメンバーたちと連日遅くまで議論を重ね、新しい製品の開発に没頭する日々。

「田中さん、この企画なら絶対に成功しますよ!」

佐藤が興奮気味に言う。彼の目に映る俺は、かつての自分とは別人のように思える。

「ああ、みんなで作り上げた企画だからな。きっとうまくいく」

そう言いながら、俺は胸の内で小さな不安を感じていた。本当にこれでいいのか?俺の本当にやりたいことは…。

仕事と創作の両立は、想像以上に厳しかった。夜遅くまで企画書を書き、その後小説の執筆に取り掛かる日々。睡眠時間は減り、度々頭痛に悩まされた。

「田中さん、この企画書、まだ詰めが甘いですね」

上司の厳しい指摘に、胃が痛くなる。必死で改善を重ねるが、なかなか納得してもらえない。

家では、和美との時間が減っていった。

「誠、最近顔を合わせる機会が減ったわね」

和美の寂しそうな表情に、罪悪感を覚える。でも、今は踏ん張り時だ。そう自分に言い聞かせる。

小説の執筆も思うように進まない。書いては消し、また書く。夜中に目が覚めて、アイデアに飛びつく。しかし朝になると、それが陳腐に思えてくる。

ある日、会社で大きなミスをしてしまった。取引先への重要な提案書の数字に誤りがあったのだ。

「田中!何やってるんだ!」

部長の怒鳴り声が会議室に響く。頭が真っ白になる。

その夜、公園で美咲に会った。

「おじさん、顔色悪いよ」

「ああ、最近うまくいかなくてね」

美咲は黙ってうなずいた。

「でも、諦めちゃダメだよ。おじさんの物語、まだ始まったばかりなんだから」

その言葉に、少し勇気をもらう。しかし、現実は厳しかった。

帰宅すると、和美が真剣な表情で待っていた。

「誠、このまま二足のわらじを履くの、無理があるんじゃない?」

その言葉に、胸が痛んだ。

「和美、俺は…」

言葉につまる。和美の言葉が胸に突き刺さる。

「わかってる。あなたの夢を否定するつもりはないわ。でも、このままじゃ体を壊すわ」

和美の目に涙が浮かんでいるのが見えた。

その夜、眠れなかった。頭の中で、仕事と創作、家族との時間、すべてが混沌としていた。

翌日、会社で呼び出しを受けた。

「田中君、最近の君の仕事ぶりは目に余るものがある」

部長の厳しい声に、背筋が凍る。

「申し訳ありません」

「このままでは、降格も考えなければならないな」

その言葉に、頭が真っ白になった。家のローン、生活費、すべてが頭をよぎる。

帰り道、雨が降り出した。傘を持っていなかった俺は、ずぶぬれになりながら歩いた。

公園のベンチに座り、顔を両手で覆う。すると、突然雨が止んだ気がした。

「おじさん、大丈夫?」

顔を上げると、美咲が傘を差しかけていた。

「ああ、美咲か。もう大丈夫なんてものは、なにもないよ」

疲れ切った声で答える。

「そんなことないよ。おじさんには、まだたくさんの可能性があるんだから」

「可能性?俺にはもう…」

「違うよ。おじさんの物語は、まだ途中なんだ。ここで諦めちゃダメだよ」

美咲の言葉に、なぜか涙がこみ上げてきた。

その夜、家に帰ると和美が心配そうに待っていた。

「誠、どうしたの?ずぶぬれじゃない」

「和美、話があるんだ」

俺は、すべてを打ち明けた。仕事でのミス、降格の可能性、創作の行き詰まり、すべてを。

和美は黙って聞いていた。話し終えると、彼女はゆっくりと口を開いた。

「誠、一緒に乗り越えていこう。あなたの夢、私も大切にしたいの」

その言葉に、またも涙があふれた。

翌日、会社で部長に直談判した。

「私に、もう一度チャンスをください。必ず挽回します」

部長は厳しい目で俺を見つめていたが、やがてため息をついた。

「わかった。最後のチャンスだぞ」

その日から、俺の生活は一変した。仕事では徹底的に集中し、ミスを減らすよう努めた。創作の時間は限られたが、質を重視した。和美とも、短い時間でも密度の濃いコミュニケーションを心がけた。

辛い日々が続いた。何度も諦めそうになった。でも、そのたびに美咲の言葉を思い出した。

「おじさんの物語は、まだ途中なんだ」

そう、これは俺の物語なんだ。誰にも真似できない、俺だけの物語。

半年後、ようやく光が見えてきた。仕事での評価が少しずつ上がり始め、小説も少しずつだが形になってきた。

ある日、公園で美咲に会った。

「おじさん、少し顔色がよくなったね」

「ああ、少しずつだけど、前に進んでる気がするよ」

美咲は嬉しそうに笑った。

「そうだよ。おじさんの物語、少しずつだけど、確実に進んでるんだ」

その言葉に、俺は静かにうなずいた。

人生は、決して順風満帆ではない。挫折や失敗の連続かもしれない。でも、それも含めて自分の物語なんだ。

「ただいま」

その日、家に帰ると、俺は小さくつぶやいた。和美が温かい笑顔で迎えてくれた。

明日もまた、新しいページが始まる。それがどんなページになるかは、誰にもわからない。でも、それこそが人生の面白さなのかもしれない。



それから2年が経った。俺、田中誠は50歳になった。人生の折り返し地点を過ぎ、残りの時間の方が短くなっている。

仕事は何とか軌道に乗り始めた。降格は免れたものの、昇進の道は遠い。若手たちに追い上げられる中、日々奮闘している。

「田中さん、この企画書、まだ改善の余地がありそうですね」

かつての新人、佐藤が遠慮がちに言う。彼の成長ぶりは目覚ましく、時に彼のアイデアに助けられることもある。

「ああ、そうだな。君の意見を聞かせてくれ」

素直に若手の意見を聞く。かつての自分なら、プライドが許さなかっただろう。

小説は、ようやく一冊目が出版された。大きな反響はないものの、少数の熱心な読者がついた。

「田中さん、次の作品を楽しみにしています」

出版記念イベントで、一人の読者がそう言ってくれた。その言葉が、何よりの励みになる。

家では、和美との関係も少しずつ改善していった。

「誠、最近少し落ち着いたわね」

「ああ、少しずつだけど、バランスが取れてきた気がする」

二人で食卓を囲み、互いの日々を語り合う。以前のような親密さは取り戻せていないが、それでも確実に前進している。

ある日、久しぶりに例の公園に立ち寄った。すると、懐かしい声が聞こえた。

「おじさん、久しぶり」

振り返ると、そこには美咲がいた。しかし、彼女の姿が少し透き通って見える。

「美咲、君は...」

「うん、もうすぐお別れの時間かもしれない」

その言葉に、胸が痛んだ。

「でも大丈夫。おじさんの物語、もう私がいなくても大丈夫そうだから」

美咲は優しく微笑んだ。

「ありがとう、美咲。君がいなかったら、俺は...」

言葉につまる。美咲はゆっくりと頭を振った。

「違うよ。すべては、おじさんが自分で掴んだものだよ」

その言葉を最後に、美咲の姿は風のように消えていった。

目頭が熱くなる。しかし同時に、不思議な解放感も感じた。

その夜、和美に全てを話した。美咲のこと、自分の葛藤、そして今の気持ち。

和美は黙って聞いていたが、最後にこう言った。

「誠、あなたは変わったわ。でも、本当のあなたに近づいた気がする」

その言葉に、胸が熱くなった。

翌日、会社で新しいプロジェクトの話が持ち上がった。

「田中、君にリーダーを任せたい」

部長の言葉に、一瞬戸惑う。しかし、すぐに決意が固まった。

「はい、全力で取り組みます」

帰り道、ふと空を見上げると、夕焼けに染まる雲がタンポポの綿毛のように見えた。

人生は、決して劇的なものではない。大きな成功や、派手な展開があるわけでもない。
でも、日々の小さな前進の積み重ねが、かけがえのない物語を紡いでいくのだ。

家に着くと、和美が出迎えてくれた。

「お帰りなさい。今日はどんな一日だった?」

「ああ、新しい挑戦が始まりそうだ」

そう答えながら、俺は思う。
これが俺の人生だ。華々しくはないかもしれない。でも、確実に前に進んでいる。

「ただいま」

俺は、小さな声でつぶやいた。新しいページが、また一枚めくられようとしていた。

(終)

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