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しない善とする偽善


何でも行動に移すタイプの私は、自分の考えをまず発信せずにはいられない性格だ。

それは自分の人生に限らず、社会の出来事に対しても同じだと気づいた。

我が家の愛犬と実家にいる犬2匹は保護犬で、たまらなく可愛い。彼らを引き取ってから殺処分ゼロを訴える運動は、自らもSNSなどで発信している。

LGBTQの友人が多いので、彼らの権利について声を上げるようにしている。

他にも社会問題やチャリティーについて考えることは多い。

発展途上国の子供達へ靴を送るプロジェクトを見つけ、履かなくなった靴をかき集めて送ったり

非常食の寄付ができる団体があると聞き、家に備蓄していた非常食を買い替えるきっかけに、段ボールに詰めて送ったり

最近では、難民問題で多くの子供がご飯もまともに食べれないとニュースで見たので、少額ではあるがUNHCRへ寄付をしたり

最近やったことはこんなところだろうか。


ただ、自分でもわかっていた。

私は自ら足を運んで、自分の目で見て、社会問題に向き合ってなどいないのだ。

社会で起きている問題をスマホで見て、SNSにアップされた写真にショックを受け、何もしないで悪者になったような気持ちになるのが嫌で、自分が簡単にできることをしているだけ。そうすることで自分自身が安心しているだけだ。

貧困に苦しむ子供達は本当に私の靴を必要としているだろうか?

被災地に非常食を送って本当に役立っているだろうか?

我が家に迎えた保護犬たちは幸せだろうか?都内の狭い家なんかじゃなく郊外の広い庭のある家に引き取られた方が良かったのでは?そもそも犬を飼うのは人間のエゴか?

そんなことを考えていると、自分は偽善者だと思った。


その時、夫に言われた。

あなたのおかげで自分も少し行動できるようになったよ。

驚いた。私のこんな些細な行動が、人を動かしていたのか。


彼は続けた。

しない善よりする偽善でいいんじゃない?

そもそも、その行動が自分を安心させるためだったとしてもいいでしょ。実際自分の服やお金を寄付して、何かの役には立っているんだから。
可哀想だな。で終わる人が多い中、実際に行動しているんだから偽善ではないでしょ。

と。

うちの犬を引き取ろうと言ったのは偽善?
犬を飼おうと決めた時、あなたに保護犬を引き取ろうと言われなければ、俺はそんな選択肢すら思いつかなかったよ。
でも引き取った今、毎日幸せで、愛情を注いでいるんだから、それは偽善じゃなくて愛だよ。


なるほど。それで良いのか。

確かに私はあまり深く考えずまず行動していた。
それで良かったのかもしれない。

人の話を聞いて気づいたのは、チャリティーに対するハードルの高さ。

昨今の便利な世の中では、募金なんてスマホ1つあれば5分でできる。
海外のサイトでもGoogle先生にお世話になれば翻訳なんて一瞬だ。
振り込みなんてしなくても、クレジットカード決済で募金ができる時代なのだ。

そういう情報が広まり、チャリティーへのハードルが下がれば募金で集まる金額も大きく変わるだろう。

動物の殺処分だって、今までペットショップしか選択肢になかった人たちが、私の夫のように里親になることを選択肢に入れるようになれば、殺処分の数は減るはずだ。


それでいいんだ。


私の小さな行動で、誰かの意識を変えられるかもしれない。

一人一人が私程度の小さな行動を起こすことで、少しずつ世界がいい方向に変わるかもしれない。


しない善よりする偽善


それでいいんだ。


#寄付について考える

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