日常

一人は理由もなく、定期的に絶望を感じていた。理由がないというのは嘘かもしれない。明日の描き方も知らず、今日を生きる惰性。自分の人生を悲観し、敗者を演じる。けれど、どれもありきたりで何ら特別なことなんてないようにも思えてくる。敷かれたレールは定時運行するが、三流作家みたいな偶然を望んで、これといって行動しない。行動原理は、短期的な義務で、そこに願望は入らない。そのくせ、仕事もなく、暇をもて余しSNSで時間を潰す毎日。長期的な思考がない。


一人は思うように開かない目を開ける。差し込む光が眩しく、また目を瞑る。特に変わりのないいつもどおりの朝。一人は大学に行かなければならないことを思い出し、起きるイメージをする。まず、目を開けるか、足から動かすか、それとも勢いで起きあがった方がいいのか。どれも行動に移さず、頭の近くに置いたスマホを手に取り、重いまぶたを再び開ける。起床予定の時刻を大幅に過ぎていることに気付き、飛び起きる。危機感は一人を動かすようだ。身支度を終え、今日もいつもどおり大学に登校する。最寄りの駅まで行き、いつもの電車に乗る。電車の音に耳を傾けながら、一時的に現実を断ち、目をつむる。赴くままに思考をめぐらせていると、一人は自分の描写が事実羅列の描写ばかりで、そこに感情表現がないことに気付く。そのとき、パッと目を開けると視界に入るスーツをきれいに着こなした会社員。少し入社時刻が遅いように思ったが、一人はそれを受け入れる。彼はおそらくこのまま会社に向かい、いつものように働き、いつものように帰るのだろう。一人は、この心の舞踏を忘れた歯車を軽蔑する。それとともに、どんどんその軽蔑した対象に近づく自分にも軽蔑を向ける。まだ聞き始めたばかりの電車の音が、憂鬱な気持ちを増幅させる。

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