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「尊厳」どうやったら守れる?

年末に足を骨折し救急搬送された父は、2カ月半の入院を余儀なくされた。

もともと肺に重い疾患のある父。
入院で寝たきりが続いたことにより体力が落ち、呼吸する力も飲み込む力も失われていった。担当医にこのままでは餓死しますよと、鼻から管を入れて栄養を胃に送る「経鼻」という処置をすることに同意するよう言われる。
迷う余地などなく、同意するしかなかった。

でもその後が本当に大変で。
痛いのか違和感があるのか、父はその管を鼻から抜いてしまうことが続いた。それを入れ直すことはとても大変で、本人にとっても粘膜を傷つけてしまう可能性が高く、その危険を回避するために両手に「ミトン」をつけることをしなくてはならなくなった。

はじめは「危ないから点滴のときだけはつけましょう」と言われていたのが、いつの間にか終日つけるようになった。
ミトンをはずせるのはこちらが面会に行った時だけ。
父はどんどん感情的になり、病室に入る前から「おーい!」と言う怒鳴り声が聞こえてくるようになった。
そしてミトンをしていても感情にまかせて管を引っこ抜くという荒業もせずにはいられないほど、もう気持ちのコントロールが効かなくなっていった。
意識の混濁も見られるようになった。

その姿を見るのはとてもしんどく、私は父の尊厳を守れているのだろうかとすごく悩んだ。
確かに医療によって、骨折した足の状態はよくなり車いすにも移れるくらいに回復はした。でも日常の苦痛は明らかに増し、感情が荒れまくって傷ついていた。
栄養を摂れなければ生きることはできない。
でもそのために父の手を覆ってしまうことは、父の生きようとする魂に石を投げつけているのと同じなんじゃないかと思った。

ナースに、面会から帰るときは声をかけるよう言われていた。
面会中はずしてもらったミトンをつけ直すためだ。
たった20分の面会時間。
「じゃあまた来るね」といって部屋をでてナースに面会が終わった旨を伝える。
しばらくすると、父のいる病室から

「なんのために、誰のためにこんなことするんだ!」

という大声が、私の待つエレベーターまで聞こえてくる。
うずくまりそうになる身体をエレベーターに押し込み、わたしはその場を離れる。

そう。
私はそうやって嫌な場所から離れることができる。
それができない父の、父の生きる尊厳を、わたしはどうやって守ればいいんだろう。
どうやって父を守ればいい?

生きること、尊厳を守るということは、口でサラっといえるほど簡単ではなくて、自分の無力とも向き合わなくてはならない。
それでも、父より先にわたしが諦めるわけにはいかないんだ。

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