ケンタッキーフライドチキン(KFC)
先日、久しぶりに「ケンタッキーフライドチキン」のチキンを食べました。
子供の頃から、ケンタッキーのチキンが大好きで、たまに無性に食べたくなってしまいます。
変わらない美味しさで、とても満足でした。
カーネル人形
ケンタッキーフライドチキンと言えば、店頭に立っている「カーネルおじさん人形」が有名ですよね。
店舗やシーズンによって、カーネルおじさん人形が様々なコスプレ(?)をしていたりするので、それをチェックするのも楽しみです。
ちなみに、日本でのカーネルおじさん人形に関する逸話としては、「カーネル・サンダースの呪い」というものがあります。
1985年に阪神タイガースが優勝した時に、興奮した阪神ファンがケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネルおじさん人形を道頓堀川に投げ込んだそうです。
それ以降、阪神タイガースの成績が振るわなくなってしまい、それはカーネルおじさん人形の呪いなのではないか、と言われているという都市伝説です。
ちなみに、道頓堀川に投げ込まれたカーネルおじさん人形は、2009年に川の中で発見されたそうです。
呪いが本当に存在するかはさておき、川に物(ましてや他人のお店の物)を投げ込んではダメですね。
カーネル・サンダースさん
そんなカーネルおじさん人形のモデルとなった、ケンタッキーフライドチキンの創業者「カーネル・サンダース」さんは、「65歳から起業して成功した」というエピソードで有名かと思いますが、改めて調べてみたので、今回はその経歴を紹介させていただきます。
ちなみに、カーネル・サンダースさんの本名は、「ハーランド・デーヴィッド・サンダース」と言うそうです。
「カーネル」というのは称号の1つで、食文化の発展に大きく貢献したことを理由に、アメリカ合衆国ケンタッキー州から与えられたそうです。
経歴
そんなカーネル・サンダースさんの仕事の経歴はと言うと、働き始めたのはなんと10歳からだそうです。
その後、様々な職業を経験した後に、29歳で蒸気船運航会社を設立したそうですが、軌道に乗せることができずに破産してしまったとのこと。
その後も、高速道路沿いのガソリンスタンドのオーナーを任されたりという経験を積み、40歳の頃にはガソリンスタンドの倉庫を改造し小さなカフェを開いたそうで、このカフェが後にレストランになり、そこの看板メニューが「フライドチキン」だったそうです。
日々レシピの研究を続けながら、50歳の時に、10年もの歳月をかけてレシピを完成させたのですが、その後、高速道路の移転の影響でレストランの客足が途絶えたことによりレストランを手放し、65歳にして無一文になってしまったそうです。
65歳からの再スタート
そんな中で出会った、とあるレストラン経営者の青年からの後押しもあり、「自分のフライドチキンで多くの人を幸せにする」と決意され、全米のレストランに売り込むべく再スタートを切りました。
時には車中泊までしながら、1軒1軒レストランに飛び込み、断られ続けながら「1010回目」にしてようやく契約を獲得できて、そこから大成功していったとのことです。
てっきり65歳で未経験のところから起業をスタートされたのかと思っていましたが、それまでにも数多くの経験をされていたのですね。
とはいえ、65歳でゼロから再スタートを切って成功されたのは驚きですし、その時の行動量や情熱には感服します。
僕も見習って、もっともっと行動します。
森哲平
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