見出し画像

木の枝に、グミ刺して植えてた

「グミと木」

● 男性が一人、道端で作業をしている。
● 男性が人に話しかけられる。
星野!久しぶり、先生なんて呼ぶな。俺もう数学の先生やめたから。今はもう先生って呼ばれてもびっくりするだけ。

星野、久しぶり。何、帰って来てたの?そうなの。大きくなって立派になって。ああそう。

俺?俺はもう先生やめて、ずっと自分の時間を謳歌してる。今はあれだ、木の枝に、グミ刺して植えてた。

ううん、木の枝にグミ刺して植える。これで終わりだ。この先はねえよ。木の枝にグミ刺して植えて何がある?この後はないよ。どうしたお前?大人になったんだな。

まあ、だからあれだ、あの、暇つぶしではあるけれども、あれだよ、意味はあるんだよ。

ほら、グミってさ、だっせえだろ。グミって。負だろ。だってもともと果物だったのが、色々足されて加工されて、ねちょねちょにされて、もう一回果物の形にされるだろ。馬鹿にされて。世界に馬鹿にされて。かわいそうに。グミは負。負はグミ。

木の枝もかわいそうなんだよ。木の枝も負なんだよ。木の枝ってほら、木から折れて、取れて、もう木じゃないのに、近くで見たら木に見える。木に見えるのに木じゃない。木のミニチュア。

木の枝も、グミも、どっちも偽物なの。どっちも負なの。木になれないものと、果物になれないもの、この二つをくっつけると、裏返るだろ?美しくなるんだよ。プラスに転ずる。

それを一人でやってるんだよ。誰に見せるでもない。

こんな風に、世の中でもう醜いとされたものや、価値がないとされたもの、舐められているものが、組み合わせ次第で時には美しく見えるかもしれない。そういう可能性を俺は信じてる。

いいか、この世ってのはそんな風に、たった一つの見方を変えるだけで、たった一つの組み合わせを変えるだけで、なんでも美しく見える可能性がある!

● 木の枝に刺したグミを普通に食う。
● めちゃくちゃ食う。
● 平然と食う。

...どう見えてる?
...今、どう見えてる?
俺、グミ食べてるだけだぞ。グミ食べてるだけなのに、もしそう見えなかったら、俺の勝ちだ!

動画

作者コメント

・「木の枝にグミ刺して植えてる人」を最初に思いついた。それ以降は説明を補いつつ、こいつが言いそうなことを言い、こいつがしそうなことをしている程度である。

・こいつが微妙に先生である(何かを教えようとしている)のが好きかもしれない。なんだろう、それもフォーマルな先生ではなくて、もっと荒々しくて超自然的な存在になりかけているのがかっこいい。姿形を変えながらも同じことをしているという意味で、こいつ自身がグミだし木の枝な気がする。

・優しそうなことを主張しているようで、めちゃくちゃ自分勝手で、別に意味不明なのがいい。こいつのエゴがいい。

・話しかけた星野くんは偉い。

演者コメント

・ライト東北弁のねちょい喋り方。動画テイクは「53時間軟禁ライブ」の最終盤(鬼疲れている)だが、顔がむくんでいることや、声が枯れていることが逆に味があって良かったかもしれない。体調が万全な時にこいつをやるには、僕にまだ説得力が足りない。

・このコントを演じるにあたって、実際に木の枝にグミを刺して食べてみたが、木の皮がひっかかるのでかなり美味しくなかった。

サポート頂けた場合、ライブ会場費、交通費などに宛てます。どうぞよろしくお願いいたします。