日記(時間管理、違うこと、イメージ)
・彼女とフレンチに行った。誕生日だったから。
そしてホテルにも泊まった。部屋でのマッサージも付けた。食事とマッサージの間が2時間しかなかったので、1時間マッサージの開始を遅らせた。フレンチのコースは大体2時間だろう。これで余裕を持って行ける。そういう算段だった。
実際は、レストランを出たのは3時間後だった。ギリギリだったので、マッサージは少し遅れたし、デザートや食後のお茶はもう味わっていなかった。会計も早めにしてもらった。彼女が店員に伝えてくれた。
彼女とホテルまで走った。いや、事前の計画次第ではゆっくり出来たはずなので、走らせたが正しい。
その間、遅刻などの連絡はすべて彼女に行ってもらった。彼女は平気そうだった。私の段取りは悪かった。
早めに電話して料理提供の時間を確認したり、遅れる場合でも連絡を入れたり、あるいは会計を早めてもらうようにお願いしたり、そういう細かな報連相が出来なかったのでこんなことになってしまった。
今回であれば、事前に料理の時間を確認したり、遅くなる連絡をもう少し早くしたり(もちろん自分で)、あるいはキャンセルしたり、やり方はあった。自分で責任を負うことを拒否した。そういうズルさによって、彼女に任せきりにしてしまった。年齢とかではなく、それは悪いことだ。心配事を具体的に言う方が良い。
・ウクライナ。正義の戦争と犠牲の終わらなさ。勝てない。支援者は減っていく。ロシアは危ない。ここで負けたら、今まで何のために耐えてきたのか。
戦争、終わらない、敗北。
・三森みさ『いいかげんに生きづらさ終わらせたい』を読んだ。
めちゃくちゃ良かった。著者の性被害や家庭での経験によるPTSDと、その治療(心理士との)の話。
治った気がして、再発して、治った気がして、また再発して。このサイクル、本当に怖いなぁと思う。あとPTSD。これが知れ渡るきっかけになったのがアメリカのベトナム戦争帰還兵たちで、その後も戦争とPTSDの研究や治療がメジャーな気がしていたから、平時のトラウマによるPTSDについて全然想像してなかった。
トラウマに襲われる時の、慢性的なものと瞬発的なものが怖い。
・毎日、いつもと少しだけ違うことをする。
なるべく人と関わるものであれば良いが、そんなことも出来ない日もあるだろう。だから、散歩の道や起きる時間、買い物をする店、ご飯を食べる場所、作る料理、とか自分だけの生活の範疇でも良い。
無数の個人が組み合わさるインターネットが社会ならば、個人のふとした動きで社会はわずかに動く。「たわん」
「ぽよんぽよん」
「ぷにっ」
その音が響き渡れば、ブルースは加速してゆく。
・イメージ対イメージの戦い。自分に都合の良い絵に描かれた敵を、罵倒すらしない。嘲笑う。永遠の平行線。生活から離れた末路。生活と政治が離れすぎた。言葉と生活が離れすぎた。そして、対話が消えて主張が残った。喧嘩の無い日本。右も左も。年寄りも若者も。私も君も。
・タワレコに入った。前にも一度寄ったことはあった覚えがある。だけど一人で入ったのは初めてだ。
レコードとCDがところ狭しと並んでいて、垂れ幕のような店員の直筆の推薦文や、歌手のサイン色紙が飾られている。CDの直ぐ側にはヘッドホンが用意されていた。「いつもと違うこと」を求めていた私は、頑張ってヘッドホンの周りをクルクルと歩いた。誰か私以外にヘッドホンをしている人はいないか。一人、だれか試聴してくれていれば私の自意識ハリセンボンは棘を収めてくれる。誰もいなければ、「ヘッドホンを使ってキモい」と思われるだろう。思われるに決まってる。
いた!!!一人いた!!
なのでつけた。あの空間でヘッドホンをつけて音楽聞くと、普通の何倍も格好良く聞こえる。危うく買いかけた。
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