考えている風

・身体には曜日感覚はない。続けたいのとは毎日やった方が良い。すーごいそんな気がする。恐山の日記にそんなことが書いてあった。書きてぇ。恐山みたいなユーモアとホラーが混ざり合った掌編小説が書きてぇ。でもアイデアも展開もない。でも書きたい。

・あれが気になる。ポメラ。ワープロみたいなやつ。「執筆」をあれでやりたい。カタカタとカフェで打ちたい。だけど絶対やらない気がするし、やっぱり今持ってるiPad用のキーボードで我慢しなきゃなあ。そっちで書けよ。iPadカタカタしろよ。

・夢の中で母が死んだ。全然泣けなかったので、頑張って泣こうとしてた。泣こうとするところが何か嫌だな。世間一般を気にし過ぎている。
でも、そろそろ考えないとな。死ぬなんてある種簡単な段階ではなくて、介護、病気、お金とか。
そのとき、こんなにのうのうと私は生きていられるのか。

・セブンイレブンの豆腐ガトーショコラを食べた。目に見えるハズレ商品だと思った。食べると、意外とまずくない。けっして美味しくはないけど、想像していた不味さには遠く及ばない。
食感もしっとりしていて、豆腐の風味は一切ない。味は淡白で、ほんのりチョコレートの味がするだけだが、水分がほとんどないため、しっとりした薄味のチョコケーキという感じにも思える。
思い返したら美味しかった気がしてきた。また買うかも。良いもの買った。

・戸田山和久の『論文の教室』を2年ぶりに読み返した。当時は卒論を書きながら将来を嘆いていた。読み返すと面白い。内容を全然覚えていなかったから、新鮮に面白い。論文の型、構造、ひいては論理的、科学的に話すとはどういうことなのかをこの本で学んだ。それを思い出した。そしてまた勉強し直す。

・でっかいキーボードがほしいよー。

・youtubeの動画たちは、みな面白いに賭けて動画を少しずつ投稿して、プラットフォームは最大限見やすい環境を用意する。そりゃあ依存症にもなります。善意の結果ですもの。戦うには根本から削ぐしかない。

・視覚障碍の人と歩いた。エスカレーター付近で鳴っているピーンポーンという音の意味、エスカレーターを探らないと乗れない。こちらが胸を張って歩かないと危ない。ぶつけてしまったり、まごまごさせてしまったりする。
音がとにかく大切。傘に反響する雨の音で、入ってくる世界の情報が分からなくなる。だから濡れるしかない。黄色い線の内側の黄色がわからない。だけど、耳の情報を全てを一瞬で理解するのはかなりの力がいる。詰め込むのもよくない。だが分かりにくい。ジレンマ。ジレンマか?こちら側の負担は?当事者ばかりに負担を押し付けていないか?

しかし、これで視覚障碍について知った気になってはならない。常に人に頼らなければならないという意識の世界で、世界はどのように映るか。先天的ではなく後天的の世界で。自立を促す社会の欺瞞、迷惑という言葉の無自覚な悪意。健常者とは、障がい者とは。障害という字を使いたくない。なくなってしまう。

・自分の思考力について。自分の頭は抽象的なものを抽象的なまま受け止める度量があることに気がついた。つまり、私は分かったフリをすることが多い。具体的に、論理的になれないし、長期の計画も立てられない。長期の計画を他人任せにする仕事があれば良いのだが(いっぱいある)、今の私は計画を立てるのが作業のバイトをしている。
なら、どうする。細かく分けるしかない。大きなゴールを細かく分類していく。その中でやれそうなことを、「一緒に相談して決める」つまりは責任を分散する、共犯関係になってもらう。酷いな。もう少し穏便に言うと、一緒に相談して、生徒自身にも計画の改良の余地を与え、自分で計画を立てられるようになる手助けになる。トライ&エラーで。自分の理想を人に押し付けない。他人は他人。生きる背景が全く違う。こんなに同質的な日本人どうしでも多様性があるのだから、いわんやそれ以外の人をば。

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