見出し画像

人喰らう神々のこと VII

一方、神サイドとしては、人類の存在が好ましいものだったらしいことがわかる。美味な果実をなす作物としてではあるが。そして人類は、個体間のコミュニケーション(主に相争い、傷つけ合うこと)を経て、神の望む果実を提供し得る存在であるらしいこともわかる。

ただし、人間どもが必要以上に戮力すること(力を合わせてことに臨むこと)、神の側のシステムに干渉しようとする試みは、決して許さないと考えているらしきことが見て取れる。

神は、彼らにいろいろなことなった言葉をしゃべらせることによって彼らを混乱におとしいれた。言葉が多様になったため、互いの意思が通じなくなってしまったのである。(ユダヤ古代誌I 117)

そもそも、人々の使用する言語を分かつなど、こんな芸当ができる存在とは何なのか。

前提条件を変えられるのが、創造者というものらしい。世界の設定要素を、自在に改変できる存在、システム管理者としての立場にあるものが、モンローのいう「誰か」なのだ。

創造者にとって、この人間世界とは、シミュレーション装置のようなもの、仮想現実のようなものであるらしい。

モンローが接した情報には、こうあったという。

彼は「庭」を作りそこでルーシュを生育することに決めた。(魂の体外旅行 p.256)

ルーシュ生育のための「庭」。彼らにとって地球環境とは、箱庭に設けられた農園のようなものなのだ。

結論として

神と呼ばれる創造者は、いわば仮想現実の「庭」を通じて、彼らにとって有益な何かを得られる仕組みをつくり上げた。それが地球環境であり、そこで生育される存在が人類なのだと考えれば、点と点がつながるような気がしないでもない。

我々は何ものなのか、どこから来て、どこへ行こうとしているのか?

ある目的のもとに創造され、育まれ、無知なまま、神々の、利己的で残酷かつ邪悪という以外にない思惑に振り回されながら、それでもなお、強烈な衝動に突き動かされつつ、もがき、あがき、生き続ける存在が、我々ヒトという種族なのだ。(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?