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西原理恵子氏における「オヤジ転がし」のアガリ

1.楽しませてもらいました

以前から西原理恵子氏のことを一回書きたいなー、とは思っていたのですが、氏の作品を熱心に読んでいたのは大分前になってしまったので、「今更書いたところで、現在のファンからすると、トンチンカンになってしまうだろうなぁ」と思って控えていたところ、

真偽の程は定かではないものの、ネットで騒がれたこともあり、ちょっと自分の考えをまとめたいなぁと思った次第。

西原理恵子氏の作品は、特に初期の作品は、ちょくちょく拝読させてもらいました。
今、wikiを見て、ざっと振り返ると、読書歴は、こんな感じ。

  • ぼくんち

  • 上京ものがたり

  • 女の子ものがたり

  • パーマネント野ばら

  • まあじゃんほうろうき

  • 鳥頭紀行シリーズ(全巻ではないかも)

  • できるかなシリーズ(全巻ではないかも)

  • 毎日かあさんシリーズ(全巻ではないかも)

他にも、「サイバラ式」「デカピンでポン!!」「どばくちさいゆうき」「サクサクさーくる」「カモネギ白書」あたりも読んでいたような気がします。

2.オヤジ転がし

「まあじゃんほうろうき」が、出世作になるのでしょうか?
当時も漠然と思っていたし、今は、その点が特に気になってしまうのですが、「オヤジ転がし」の巧みさ。

「オヤジ転がし」、または、「おじさん転がし」や「おじさん殺し」とも言われますが、要するに、オジサン(年長者、上司、目上)に取り入る、ファンにする、懐に入る、手のひらで踊らせる・・・・そんな感じです。

「太鼓持ち」や「提灯持ち」と同義として悪い意味で使われることも多いですが、何も持たない(特に)若い女性が、男性社会で生きていくには、非常に有効なアビリティであることは、現在においても否定できなところ。

時に「女性」を武器にすることもあって、同性からも嫌われることもありますが、本当に非難すべきは、男性優位な社会構造であって、それに対応するために否応なく身につけてしまう所作は、少なくと男性側からは兎や角言えないところもあります。

西原氏の作品は、下品や過激になってしまうギャグに嫌悪感を抱く人もいるでしょうが、「男に媚を売っている」というイメージで嫌っている方は、多くはないのでは?

それというのも、西原氏が、「オヤジ転がし」である一方で、「狂犬キャラ」であることが背景にあると思います。

3.狂犬キャラ

「狂犬キャラ」と言えば、僕の中では、「極楽とんぼ」の加藤浩次さんや、「シティボーイ」の大竹まことさんです。

若い人の中では、もう加藤浩次さんですら「狂犬」イメージはないかもしれません。
まして、昨今の落ち着いた大竹まことさんしか見ていないのであれば、「ダンディーで知的なオジサマ」くらいに思われても仕方ないわけで、山瀬まみさんとガチでやりやっていたなんて、信じられないでしょう。

山瀬まみさんの「国民のおもちゃ新発売」というデビューのキャッチフレーズからも分かるように、新世代の不思議ちゃんキャラで売り出されており、その新鮮さから売れっ子となって行きました。(当時「不思議ちゃん」という言葉はなかったと思いますが)

が、一方で、現在でも新タイプの不思議ちゃんキャラが登場すると、面白がられつつ、アンチも生み出すわけで、そういう空気感を受けての大竹まことさんの暴走だったのかな~と、今は思えたりもします。(現在の基準ではアウトです・・・・と言うか、当時だってダメですが)

「狂犬キャラ」というと、なんでも噛みつくからこそ、その存在価値があるのですが、しかし、長期間活躍しようとすれば、そうそうあらゆるものに反抗していられないわけで、結局、どこを噛みつけばギャグとして成立し、どこを噛みつけば冗談で済まないのか、その見極めが重要。
その能力が長けているからそこ、時代の空気を敏感に察知でき、加藤浩次さんは情報番組のMCとして、大竹まことさんもラジオパーソナリティとして、うまくシフトして長らく活躍されているのだと思えます。(毒舌家で鳴らしている有吉さんも、その点が優れていますよね)

オッサンという生き物は、若者から侮れることを死ぬ程嫌っておりながら、立場的にまったくイジられなくなってしまったことに寂しさを覚える習性があり、この微妙なラインを見抜くのがオヤジ転がしの真骨頂です。
俗に「ギャグ漫画家は短命」と言われる中、西原氏が長らく活躍できているのは、この真骨頂、バランス感覚が優れているからで、初期の作品である「まあじゃんほうろうき」において既に、桜井章一氏などをからかいつつも、決して怒らせないあたりで、その優れた資質が垣間見えました。

4.自立した女性

戦場カメラマンの鴨志田穣氏と結婚し、二児をもうけたものの、ほとんど一人で育て上げたことで、経済的に「自立した女性」であるけれども、ギャグのテイストもあって、それだけを「売り」にしているという印象は持たれてないと思われます。

また、ギャグ漫画と並行して描かれた叙情的な漫画、たとえば、「パーマネント野ばら」では、男性への静かな失望が透けて見え、そして、御本人のキャラクターからも、フェミニズム的な道徳臭はなく、だからこそ男女どちらからも嫌われない秘訣なんだとも思います。

さて、こうやって書いていると、「ぼくんち」や「上京ものがたり」とか、面白かったよなーと思い出します。
でも、もう一度手にするのは、なんだかためらわれてしまうのは、ここ数年、すっかり西原氏の作品から遠ざかっていた理由と同じだったりします。

5.作品と作家とパートナー

「作品」と「作家」は別、という考え方があります。
まして、「作家」と「パートナー」は別です。

現在、西原氏のパートナーと言えば、高須クリニックの高須克弥氏であることは、今更言うまでもないでしょう。

高須クリニックと言えば、我々(50才手前)の時代からすれば、包茎手術で大儲けした病院というイメージでした。
徐々に、そのトップである高須克弥氏の独特な個性もマスメディアにクローズアップされるようになり、篤志家としての一面も紹介されましたが、近年では、氏の言動、特に、政治的な主張が大きなウエイトを占めるようになりました。

ネットのない時代であれば、「知る人ぞ知る」だったのでしょうが、昨今では、ツイッターで簡単に自己の意見を表明できるわけで、さらには、wiki他、いろんなサイトで、これまでの発言がまとめられてしまい、その人物の傾向を簡単に知ることができます。
高須克弥氏は、御本人的には国粋主義、アンチからすれば・・・・・

↑等の発言からも、どういう風に捉えれれているのか想像できると思います。

ネットで、または、マスメディアで、上記のような高須克弥氏の言動が取り上げられる度に、かつて西原理恵子氏の作品を愛好していた人間としては、ちょっと複雑な気持ちになりました。

ちゃんと買ってますよ♪(西原氏の作品は、しばらく買ってないのに)

そして高須克弥氏が主要メンバーの一人であった(上図からすると「主導」と言いたいとろこですが、御本人が否定しているので)愛知県知事リコール運動は、不正署名事件に発展し、逮捕者まで出ました。

高須氏が逮捕されたわけでないし、氏が不正を指示したという証拠はないです。
が、日本政治史に残る事件であることは確かで、事実婚の旦那が関与していたことに西原氏は、どう考えているんだろう? と思ってはいたのですが、

特段の感慨はないようで、西原氏らしいと言えば西原氏らしく、また、何か思うところはあっても、ギャグの範囲からはみ出すことは描かないというのは、それこそ優れたバランス感覚なのかもしれませんが、個人的には、モヤモヤが残ってしまいます。(ネットで拾えた情報のみで、これは書いております。単行本読めば、また違った感想を持つかもしれませんが・・・)

6.大きなモノ

ヒットラーの愛人であったエヴァ・ブラウンには政治的な主張がなかったと言われいます。
独立した二人の個人が愛し合う上で、相手の思想信条に必ずしも重きを置かないどころか、まったく気にしないということは、それなりにあることです。(が、100%気にしないというのも、なかなか「ない」と思いますが)

裏表紙。「愛知のテドロス」という文言に、「当時」を感じます。

西原氏にしても、高須克弥氏をパートナーに選んだからと言って、イコール彼と同じ政治的なスタンス・思想とは限らないのは当然です。

しかしながら、デビュー当時から、オヤジを転がして権威をちゃかしてきたはずなのに、最終的には、国家や権威といった大きなモノへの憧憬を広言してはばからない人物をパートナーに置いている現状を見ると、なんとも言えない気分になってしまいます。(「最終的」かどうかは、正確には、神のみぞ知る、ですが)

そして、つい先日、西原氏の実娘と“思しき”人物によるブログが発掘されて、“娘サイド”からの過去の暴露が、ネットを騒然とさせました。

wikiにも既に「事実」の如く掲載がされています。

2022/6/4西原理恵子wiki

現状において、どこまで真実なのかは、僕には判断する材料がないです。
もちろん、「そのブログは偽物だ」とか、「ウソのオンパレードだ」などと言うつもりはないですが、現在のこじれてしまった関係から、いろんな過去のイザコザも大きくなってしまったのかなぁと想像しないでもないです。

しかし、所詮は外野からの身勝手な想像。

戦場カメラマンであった鴨志田氏との結婚生活は壮絶なもので、そのことは西原氏のメンタルもかなり傷つけたようで、それが間接にしろ、直接にしろ娘に対して負の影響を与えたとするならば、親と子という上下の権力構造からして擁護はできないけど、見ず知らずの他人が安易に批判・批評するようなことではないのかもしれません。

「れんしゅうちょう」も持ってます。

政治的な主張や行動が過激であっても、男性パートナーとしては、人間・高須氏は魅力的な人物なのかもしれませんし、他人から見たら欠点であっても、それも含めて受け入れてしまうのも人間だし、そして西原理恵子氏「らしい」と言えば、「らしい」のかもしれません。

そういう建前は理解しているつもりですが、

リコール団体の事務局長であった田中孝博被告が黙秘のままで、事件の真相解明が進んでいないのにもかかわらず、そんなことに触れることはなく、ニュースサイトやスポーツ新聞のホームページにおいて、西原理恵子氏と高須克弥氏の仲睦まじい姿が、ほのぼのニュースとして載っていたりするのを見ると、今回の実娘と思しき人物からの暴露と合わせて、かつて作品を楽しく拝読させてもらっただけに、どうしても物寂しい気持ちを覚えてしまいます。

裏表紙。

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