見出し画像

人間の意志と神の意志

「犬は嬉しいと尻尾を振ると思うのですが、犬にも意志はありませんか?」

 施設で12ステップを学んでいる時に「この世界には人間の意志と神の意志しかない。」と聞いて、僕が施設の職員さんにした質問です。施設の職員さんは笑いながら「もしかしたら、犬にも意志のようなものがあるかもしれませんが、ここではこの2つの意志ということで…。」とおっしゃったように思います。まぁ今でもそうですが、僕には本筋とは違うことが気になっちゃうところがあり、周りの方に迷惑をかけています。
 でも、その時本当はこの「人間の意志と神の意志しかない」という言葉にショックを受けていたのです。
 自分の意志で生きていくのか?神の配慮に意志と生き方をゆだねるのか?決心を迫られたと感じたからです。

 時はずいぶんと経ち、昨年の12月、オンラインミーティングで「回復のステップ」(ジョーマキュー著)のステップ3の部分を読み合わせし、参加者の方たちと学び合いました。人間の意志と神の意志の違いについて意見を出してもらいました。その中で、「人間の意志には理性は入りませんか?」という質問がありました。そのミーティングでは「理性には限界があるので人間の意志ですね。」という意見がありました。その通りだと思いました。
 でもミーティングが終わってからもなぜだか、しばらくこのやりとりが心に残りました。そしてスポンサーにメールしたり、ブログを読んだり、ビックブックの不可知論者の章を読んだり、緑の本を読んだり、分厚い AAの歴史の本を読んだり、読書会に参加したりしました。(自分から学ぼうとするのは恥ずかしながら珍しいことです)
そして簡単ですがスライドに、まとめたりしました。

 結局のところ、このプログラムは人間の理性の限界を認めて、神を信じ、神に自分の生き方を指揮してもらうプログラムだと再確認しました。理性では渡れない橋があるのですね。
 さらに「自分は神ではないのだ。」と自覚しました。

 まぁこんなことはわかっている人には釈迦に説法なのでしょうが。

 施設にいる時、今まで自分の意志で理性的に生きて来たと思っていたのに、うまくいかなっかったことを痛感しました。家族と離れて、アル中さんやギャン中さんと暮らしたのが有用でした。だから決心しました。

 その時と今の違いは理性の力を使って書かれた書物を読んだり、論理的な意見を聞いて自分から理解しようとしたことです。理性的なものと接して、理性の限界を知るというのが
「実に面白い。」

 と聞いて、面白いと思ってくれるのはほんの数人だと思いますが…。

 良いのです。僕には役立つ考え方ですから。
 僕のハイヤーパワーはまだ学びなさいと言っています。
 少しずつ歩いていきます。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?