生い立ち 2

母は、明るさを装う人だ。芯が強く、外見はおとなしそうに見えても目立つようなタイプだ。しかし内面は、曲げない頑固さがある割に軸はブレブレで、マイナス思考だった。とにかく外に対して愚痴を言っていた。
ともかく父も母も、世間の目を気にしてか、外での顔はよかった。商売をしているし、愛想良くしておかないといけなかったのかもしれない。
私が社会人数年目のころ、不況のあおりで商売をたたむこととなった。正直に言えば、そのほうがよかったし、ホッとした。商売をしていることで、家の中が険悪だったから。
いちばん悪い状態だったのは、私も妹も思春期で反抗期のころ。私はいい子ちゃんでそこまで目立った反抗期は迎えられなかった(そしてそれで今もこじらせている)。妹は反抗期がキツく、この時期を超えて社会人になって私が家を出ても母との衝突を繰り返していた(父は透明状態だった)。だけど実際は母と妹とのほうが癒着は強かったな。。
仕事が忙しい父、仕事と家事で休む暇もない母、手伝わない子ども。
イライラする父、イライラする母、オロオロするしかない子ども。
父はよけいに不在がち、愚痴を聞かせ父の悪口を言う母、聞く私、まだよくわからないまま不安な妹。
家族というのはそれぞれが「そうなるように」役割を担っているんだな、と思う。そして、家庭というのは密室で密着でけっして外からは見えず、その一員である自分は自分でもどうしようもないままからめとられていくものなんだな。
その時期は、もう「不穏になる」ようにしかならなかったんだ。だれが悪いでもない。だれも余裕がなかった。なさすぎた。
今思えば、父には酒に逃げずちゃんと寝ろ!母にはたんぱく質と鉄分を摂れ!と言いたい。とにかく休め!こんな生活ずっと続けられるわけがない。身体が壊れるわ。

私は母の愚痴の聞き役だった。アダルトチルドレンでいうところのプラケーター(カウンセラー)だ。そして、姉にまつわる経験から、いらない子であると思い込み、いい子でいることを自分に強いたロストワンだ。
母の愚痴を毎日のように聞かされると、父への信頼はなくなり、父はひどい人、と思うようになる。仕事への愚痴、体調が悪いことへの愚痴、、聞くのがいやだと思う反面、聞いてあげることで「役に立っている」と思えて安心した。
夫婦喧嘩に巻き込まれたこともある。母が言うことで父が応酬し、私も参加したために父に叩かれそうになった。だけど父はぐっと我慢した。えらいな、と思う。でも怖かった。いやもう、参加させんな。からめとられていた私には気づきようもなかったけど、夫婦の問題は夫婦間でやってくれ。
息が詰まるような一時期の家庭。あのころが夫婦仲の険悪さピークだったな。

プラケーターについては、同居していた子供のころと、離婚して出戻ったころ、係をしていた。子供のころには気づきようもなかったが、離婚したころは30代前半、母といると疲れる、とわかった。
しかしそう思うもののなぜなのかは深掘りしていなかったのでつきあわされることになった。けれどもうそのころは母の職場に対する愚痴大会が始まるとそんなに嫌なら辞めれば?と言い返すこともできていたし、自分が被害者だ!と騒ぐ母をバカにしていた。この人は友だちもおらず、寂しいんだな、とも感じた。
なんせ自分の話しかしない。私が話し始めても、すぐに私を否定するようなことを言い、主役にならないと気が済まないようだった。
うん、うん、そうね、とただ聞いてもらったことはまったくない。
子どものころならそれでも「話し相手をしてくれている」と思えただろうけど、人の話を聞かない人の話なんて、聞く気になります? ならないですよね。

ロストワンについては、私は私が思い出せないことがあるんじゃないかと思っている。
思い出せない思い出というのか…。
なぜなら「居場所」「住む場所」「食べること」といった、必要最低限の衣食住に関して、非常に恐れが強いのだ。それらは叶えてもらっていたけれど、私が享受してはならないもの、という思いが強い。
3歳か4歳のころの記憶なのであいまいだし作った記憶なのかもしれないが、灯りのついていない暗い部屋の中でひとりぼっちで座っている自分がいる。それを眺めているもうひとりの私。
小さな本人はぼうっとしているだけかもしれない。だけど、私は幼い私を見て、不安で淋しく、暗く寒いようで、「いつまでもたったひとり」という感覚を今もずっと持っている。
呼んでもだれも来ない、ということがわかっているような私。やがて現れた大人に「ひとり?」と聞かれたような記憶がある。「暗い部屋でひとり?」

それから、4歳くらいのころ母から「ひとりで寂しくない?」と聞かれたことを覚えている。それからじきに妹が産まれた。その時、母を取られたと思った(実際にそうだった)。理不尽だ、と身体で思ったんだろうな。それで、「オマエが産みたくて産んだのに、私のせいにするな!」と強く思ったんだ。私がひとりでかわいそう?いや、私はひとりっ子のほうがよかったわ。私のために、なんて言い訳、私を免罪符にするな、と怒りが湧いた。
誤解や思い込み承知で書けば、姉がいるころ私は赤ん坊で、姉にとっては母を取ったのは私だっただろうけど、そのあと姉が亡くなって、また私はひとりになったんだ。姉がそのあとの数年間父母を独占した。そしてようやく次の子を産むと思えるくらいになったころ、少しの間私は母をひとり占めしていたのに、また別の存在(妹)に取られたんだ。私は、ずっと、ひとりだ。だれも味方がいない。話を聞いて、存在を受け止めてくれる人がいない。甘えさせてもらえない。

私はずっと、母の役に立っていると思うことでなんとか居場所を確保していた。
自分のことは二の次になって、自分の要求を言うことも、はたして要求や、してほしいことはなんなのかもわからなくなっていった。
私は甘えさせてもらった記憶がない。

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