ファイナルファンタジーIIをプレイして その1 強者と弱者

本noteは私がファイナルファンタジーII(以下FF2)というゲームをプレイして思ったこと、感じたことを妄想も含めながら書き綴ったものになります。そのためFF2のネタバレを多大に含みます。

主にシナリオや設定、世界観に関することなので、ABキャンセルや回避率などシステム面の話は出てきませんのであしからず。
また私がプレイしたのはゲームアーカイブスのPS版のみです。初代FC版やその他の移植作は未プレイ。また小説版や関連書籍等も読んでいません。完全なニワカファンです。それでも良いという方のみ先にお進みください。

さて、初期のFFナンバリングは奇数作はシステム面で優れ、偶数作はシナリオ面で優れている、とよく言われている。FFを語る上でよく使われる「感動的なストーリー」という文言もFF2に端を発しているのではないだろうか。

一方でFF2のシナリオは悲劇的である、とも言われている。その理由は仲間たちが次々と非業の死を遂げることにある。

敵の罠から身を呈して主人公たちをかばったヨーゼフ。
究極魔法を託すためその命を投げ出したミンウ。
命をかけて主人公たちの死地を切り開いたリチャード。
その死に際に何より大切な飛空艇を託したシド。

彼らの最後に心打たれるのは彼らが残したものの大きさを知っているからだ。

ヨーゼフには幼い娘がいた。
ミンウは反乱軍の参謀として主人公たちを導いてくれる頼もしい存在だった。
リチャードはディスト王国の竜騎士最後の生き残りであり仲間が斃れる悲しみを誰よりもしっていたのだろう。

FF2の悲劇性にはそんな彼らの希望を繋ぐための決意がある。その不器用ながらも勇敢な生き様は主人公たちとプレイヤーの心に強く焼き付いたものと思う。

FF2にはそんな強く勇敢な者たちがいる一方で弱い人間たちも描かれてる。

カシュオーンの第二王子ゴードンは祖国と兄を失い、自らの非力さに苦悩する。アルテアの町中にたたずむ彼はどこか鬱屈としている様にも見えた。ヒルダと顔を合わせることもためらっているかのようだ。兄の婚約者を愛してしまった、兄は死に自分だけが生き残ってしまった、そんな声が聞こえてきそうでもある。しかしそんな彼も愛するヒルダが敵にさらわれた際には自ら立ち上がり、その後は優秀な指導者へと成長していく。ヒルダもそんな姿を見て最後には彼の愛を受け入れたのだろう。

そしてマリアの兄、レオンハルトは主人公たちを裏切り、さらには自ら皇帝に取って代わり世界を支配しようとたくらむ。かつて敗れた"くろきし"ダークナイトを名乗り、本来守るべきものに刃を向け、仇なすものにひたすら同化しようとするその様はどこか滑稽で、弱く愚かな人間の姿そのものだ。彼はなにも操られていたとか、やまれぬ事情があったわけではない。最後にはマリアの説得に応じ味方となるが、仲間を裏切り多くの人々をその手にかけた彼がエンディングで1人どこかへ去っていくのは彼の中では必然だったのかもしれない。

FF2にはこのように、決意とともに死を乗り越えていく強き者たちと、過去やあやまちを乗り越えていく弱き者たちが描かれている。それがただ悲劇的なだけではない、重層的な物語を生み出しているのだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
次はFF2最大最強の敵、皇帝について書きたいと思います。

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