とある女性の生きる道-7-

私の小学校では、4年生から部活、5年生からクラブ活動が始まった。

部活はずっと吹奏楽部、クラブは5年がバドミントン、6年で演劇クラブに入った。

文化祭では演劇を発表し、最後にみんなで並んで肩を組みながら「どんなときも。」を歌った。

セリフを覚えるのは大変だけれど、何かを演じるのは楽しかったのを覚えている。


6年生の時には、一時引越しをした。家を建て替えるためだ。

以前の家は、門を入ると、柿や梅の木に囲まれていた。時期になると母は梅酒を作っていた。

コンクリートで出来た駐車場。車は無かったので、チョークでお絵描きして遊んだりしていた。

ガラガラと横に開ける、ガラスが一部割れて紙で補修されていた玄関。

一度、父に怒られて、暗い中玄関の外に出されたこともあった。

ダイニングルームと、父の部屋になっていたリビングルーム、畳の部屋、洗面所、私と弟の部屋、ほとんど使っていなかった2階。

何十年も経った今でも、思い出せる。

私は、前の家が無くなることがとても嫌で、最後まで反対していた。

今まで当たり前だったものが変わってしまうのは、怖いものだ。

弟と2人で1つの部屋を使っていたので、「ひとりの部屋が出来るのよ」と、母に説得されたなあ。

新しい家が完成したら、当たり前だけれどとても綺麗で、庭は狭くなったけれど家は広くなって。感動したのを覚えている。

初めの頃は、広くなった1人の部屋で、1人で寝るのが寂しかったこともあったが、すぐに慣れて、1人部屋ライフを満喫することになるのだった。





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