とある女性の生きる道-6-

小学5、6年生。

少し成長したからか、楽しかったからか、この時期のことは、いろいろと記憶に残っている。


まず、クラス内で、苗字は違うが私と同じ名前の子が、私の他に2人いた。しかも、誕生日順の出席番号が2人並んでおり、さらに、別の名前で同名の子を2人挟んで、もう1人という順序だった。

◯◯(私の名前)、◯◯、◎◎(別の名前)、◎◎、◯◯

といった具合だ。なかなか珍しいのではないか。


また、班ごとに、教室の後ろの壁に貼る、班目標のポスターを作った。

そこで、自分の名前を、初めて明朝体で書いた。

止めるところを、ぼこっと山のように膨らませる。大きな紙なので、鉛筆と定規でしっかり輪郭線を書き、ペンで塗りつぶす。

私の苗字はなかなか難しい漢字だったので、大変だったが、出来上がりはかっこよかった。

教室に貼られてからも、なんだか満足げにいつも眺めていたものだ。


それから、私に新しいあだ名がついた。

何かのはずみで、駅前にあった手芸屋だったかの名前を、☆☆ちゃん、と、ちゃん付けで呼んだのである。

私は一部の友達から、☆☆ちゃんと呼ばれるようになり、いつしか、ちゃんが取れ、☆☆、と、お店の名前そのものが、あだ名になった。

こう書くとなんだか馬鹿にされて付けられた気がしなくもないが、当時の私は、初めこそ嫌な気持ちもしたが、外国人風でかわいかったので、そのうち普通に受け入れていた。むしろ、ちょっと気に入っていた。


先生も素敵だった。たんけんぼくのまちのチョーさんのようなイメージで、絵が上手く、厳しくもあたたかい先生だった。


このクラスでは、学校の校庭の木の下に、タイムカプセルも埋めた。

みんなが大人になったら、掘り返しに来ようという約束とともに。

実際、成人式が終わったあと、みんなで集まって掘り返した。わいわいと、楽しい時間だった。

卒業後、少し大人になってからクラス会をしたのも、このクラス。小学校の同級生で、何人もの名前を覚えているのも、このクラスの友達がほとんどだ。





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