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【短編】自然 (修正前)

子供の頃に団地の奥にある公園でよく遊んだ。

鉄棒で技を極め、砂場では磁石を突っ込み砂鉄を集めた。飽きたら自転車で公園を飛び出し、遠くまで探検をした。捨て猫を見つけて飼い主を探してまわったこともあった。砂と岩場が続く川原では、月にいるようではしゃいで踊った。
目のまえのことを楽しむことには躊躇もせず、仲間とも、ひとりでもなんでもやった。

時が経ち、年齢や場所は変われども、思いのままに行動してしまう子供のような性格は変わらなかった。年齢とともに成長していく社会の風潮と逆をいく本質で、心のままに行動すれば笑われびっくりされるのだから、どうしたものかと、見た目が大人になるにつれ悩み考えるようになった。

子供であることを自覚してからは、大人を演じようと異常なまでにルールを守った。感情の波に乗って生きていた私は、感情を切り離し人の分まで何倍も働いてみた。幸い極めることは得意であるので、ゲームのように社会をクリアしていく。

凄いスピードで本質と反対の方向に離れていくことで、気づかぬうちに不自然さは積み重なり、シャットダウンは突然にやってきた。

もっともっとやれるのに、まだまだ大丈夫なのに、なんにもやれなくなっちゃった。あれれ、もっとやれたことってなんだったかな。
頭の中はもやがかかり、涙で視界はふさがれて、なにもかもが見えなくなった。
私ってなんだっけ。

暇になるとこれといってやることもなく、とぼとぼと家のまわりを歩きながら、ふと思い出した団地の公園を覗いてみた。
久しぶりのそこは、日当たりは悪く、驚くほどに狭い。雑草の生えた砂場と錆びた鉄棒はあまりに小さかった。

当時の背丈を想像してみる。小さなわたしの横にそっと立ち、低くて錆びた鉄棒を握った。
誰もいないことを確認して、せーので逆上がりをした。
体は見事に重たく、見えていた景色が面白いほどにぐにゃりとまがった。寂しく暗かった公園が一瞬にしておかしなことになった。横にいる小さなわたしと、その瞬間を面白がって分かち合った。

それはとても自然なことだった。

小さなわたしは観念などひとつもなく、見えている景色なんていつも違っていたのに、いつでも形を変え馴染んでいた。あの頃のわたしは、間違いなく自分と自然を区別していなかった。

うまくやれなくなったのは、自分の在るべき場所に居ないよと、お知らせがきただけなんだ。それをこんなに悲しんでいるのは、私たちが自然の一部だということを忘れてしまっているから。特別な存在ではないはずなのにね。

夕方のチャイムが聞こえてきた。
さて、夕日と一緒に帰ろう。


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これを書いてみて「自然」をあらためて辞書サイトで調べたら面白かった。言葉っていいな。

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