あきらめ

小学生の頃、死に怯えていた。

地球滅亡や戦争を扱う番組や本を見ては寝られなくなるなど、異常なほど恐れていて、家族との時間を無駄にしたくなくて学校への行き渋りをしていたくらい怖かった。正常な発達段階だったのかもしれないけれど、異常なほど死が怖くて死を恐れていて、どうせ死ぬ時はみんな一緒だからと笑う母に、大人はなんて薄情なんだと思った。

大人になった今、死への恐れは薄まった。依然としてそれは存在するし、畏敬の念こそあれど、死への諦めがつくようになった。あの頃の母のように、死ぬ時はみんな同じだと思えるようになった。むしろ、死んでしまった方が楽なのではないかと思えるほどに、死への恐れがなくなってしまった自分に驚いている。

21になるまで、死から遠い場所に居た。

この一月の間に、曽祖母と祖父が立て続けに亡くなった。私は21になるまで、親しい身内を亡くした経験に乏しく、お通夜は数回こそあれど、人生の中でお葬式に出た記憶はほぼない。地元から遠く離れた場所に住んでいるから、曽祖母の通夜と葬式には出られなかったし、祖父も急なことで、これを書いている今も地元に帰れるかはわからない。
曽祖母は100で亡くなる大往生だし、祖父も80を超えていたので、決して早逝ではない。今まで頑張ってくれたことへの感謝の気持ちが大きいかもしれない。(もちろん、もう少し生きていて欲しかったし、祖父に至ってはあと二週間で帰省の予定だったのだから、そりゃないよと泣きたくもなる)
ただ、生への執着と死への畏れが無くなったことが、どうにも寂しいと感じた。

死を異常なほどに恐れていたあの時と、死への恐怖を忘れてしまった今と、どちらが正しくて、どちらが幸せなのか、私にはわからない。

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