2024/06/11

思うようにいかない日もある

6月8日 この日は土曜日で夫は義父(夫の父)とゴルフに行くということで、朝早くから出かけることになっていた。私はどのような日であっても夫が出かけるときは珈琲をいれる。仕事でもそうでなくても…。何時であっても一緒に珈琲を飲んでお話しして見送るようにしている。でも、この日は珈琲メーカーが壊れた。珈琲がうまく下に落ちなくて溢れてボタボタボタ…と床にこぼれてしまった。

夫と一緒に珈琲は飲めなかったし、せめて夫に無事だった部分だけでもと飲んでもらったけど、美味しくなかったらしい。今思えば高い珈琲メーカーだったけど、気分屋で面倒くさい子だった。気難しいというかなんというか。最初から私との相性があまりよくなかった珈琲メーカーだった。

私は決まった時間に決めたことをやりたい。ルーティーンっていうやつ?それが崩れるとガタガタになる。この日は本当にガタガタと崩れるように落ちていく土曜日だった。娘は塾で夫はゴルフ。義父には少し早めの父の日のプレゼントを用意していたから渡してもらう予定にしていたし、夫の実家へのお菓子も準備した。全てがきちんと進む予定だったのに、義母から借りていたものを返し忘れた。ひとつひとつが崩れていく…大げさだけど。私は普段通り家のことをする。ただそれだけなのにうまくできない。時間だけが過ぎていきあっという間に夜になってしまった。明日は珈琲メーカーを買いに行こう。安いやつでいい。自分を慰めるように言い聞かせて寝た。

もう会わない方がいいかもしれない姉

私にはかなり自由な姉が一人いる。おかげで私は青春らしい青春を母親に制限されたし、友達付き合いも異常なほど監視されて育った。自分はどうしたいか?そういう“自分”を押し殺しながら、それでも“自分”を忘れないようにして生きてきた。。姉の自由はたくさんありすぎて書ききれないのだけど、なにかひとつ書くとしたら何にしようかなと…ちょっと悩んでいる。

汚部屋

姉は美人で昔は本当にモテた。…けど、そんな女の末路はひどいもんだ。この人はどれだけ人に迷惑をかけて生きるつもりなんだろう?それが私の姉。でも、姉とは時々会おうと決めて、気が向いたら食事をするようにしている。どんなに姉を悪く言っても悪く書いても私はこの人の妹であって、血のつながりがある。この縁は今の私にはどうすることもできない。それなら、きちんと向き合おうと思った。昨年か…そのくらいからなので、最近のこと。それまでは関わらないように避けていた。姉はモテていたのに、男性にひどいことをいっぱいしたので、25歳からぱたりとお声がかからなくなってしまった。それからは必死になるも誰にも相手にされない。40歳目前でやっと結婚した。念願の専業主婦になったのだけど、姉は家事…とくに片付けができなくて、結婚して一軒家を購入したもののすでに大変な状態にしているらしい。私の母も掃除が苦手な人だったし、私の育った家も汚かった。今の私から見れば、母も姉も向上心がない。自分は~だからこれでいい…と結局全てを後回しにするのが良くない。だけど、母と姉は私が苦手なお裁縫は得意。悔しい。

以前、古いアパートに住んでいた変わった人の事を書いた。必要以上に外にいる人は家の中が汚いのだなぁということを知ったと書いたのだけど、姉もそうなっているらしい。まだ家を建てて2年も過ぎていないのに家の中に居場所がないらしい。家の外に椅子を置いて、そこでご飯を食べているという。びっくりした。そんな人いるんだ!!あ…あたしの姉だった。でも、本人はそこに変だとは気が付いていないので、家の外でお茶しましょう?なんて私を誘ってきたりする。家の中はちょっと…とか言いながら。私はさすがに断ったのだけど。姉の思考としては家が汚いから外でおもてなしをしよう…となっているらしい。片付けに行こうか?と言ったら、妹ごときが何よ偉そうにと急に言葉が荒くなる。大丈夫かな?素直にそう思った。

前に私の家のお隣さんが意地悪で・・・と書いた。実はこの家族もよく家の外でご飯を食べている。だから、引っ越しして早々我が家の洗濯物が隣のバーベキューでやられた。ひとこと声をかけてくれたら良いのに。さらに人を呼んで騒いだりもする。お隣の奥さんが私にしたことはもちろんそれだけではないのだけど、姉と似ているなぁと最初から思っていた。姉も性格が悪い。わざと私に嫌がることをして笑って見ていたりするところかそっくりだ。

結局自分次第

 ただ、私が思うことは、姉もお隣の奥さんも私より年が上なのに、今現在、私の方が主婦スキルは確実に上だということ。昔からそうだったわけではなく、嫌がらせを受けたからこそ私はどうしようかと考えて、日々過ごしてくることが出来た。姉も自由で親に迷惑をかけたからこそ私は親に監視されたし、青春も奪われた…だからこそ、夫に出会えて誰よりも早く家を出ることが出来た。夫の母(義母)に掃除も教えてもらった。義母流は“見て覚えなさい”だった。私はきっと運がいい。そう信じてこれからも真面目に生きていく。馬鹿にされても意地悪をされても…

娘にも夫にも姉とはもう会うのやめたら?と言われる。母にももう姉には必要以上に会わなくていいと言われる。妹としてではなく一人の人間として、これだけ私に迷惑をかけて、姉の一件で不安になった両親から進路さえも制限がかかった私の人生。これが決められた道だったのか姉が乱した道だったのかは分からないのだけど、でも結局私は100年に一度の大不況で正社員になれない人が続出する中、誰よりも早く優良企業の就職が決まって、その後短いモテ期も体験できた。マイナスをプラスに変えてきたじゃんあたしって思えば思うほど、姉には感謝しかない。

私の歩くどんな道も必ず実りあることと信じる。

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