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朝叫ぶ母親たち

私の母は、とにかく毎朝バタバタしながら叫んで私や姉を起こし、騒がしくお弁当を作っていた。朝ご飯を食べようとすると、それはお弁当用だとまた叫ぶ…。じゃあ、何を食べればいいんだろう?子供のころから毎日うんざりしていたのだけど、朝ってそういうものなのかなって思い込んでいた。本当にうるさい家で育った。私が早起きしても姉が寝坊するので、早く起きても普通に起きても結局母親の怒鳴り声を聞きながら朝は始まる。最悪な一日のはじまり。

高校を卒業して私は県内の短大に入学した。本当は早く家を出たかったので、就職したいと言っていたのだけど、母親は私がやりたいことを否定する人間だから、案の定反対し、せめて短大に行けと言う。中途半端なんだよね…だったら大学に行きたいというと、お金が…とか言い出す。面倒くさいから言いなりになった。私が親に行けと言われた短大は家から少し離れているので通えない。過去の投稿記事にも書いたのだけど、親がちょっと“あれ”だったので私に1人暮らしなんてさせてもらえるはずもなく、寮に入ることになった。寮と言っても見た目は普通のお家で、10人まで入居が可能。当時60代のおばさんがひとりで学生のご飯とお風呂の準備をしてくれていた。1人部屋で和室4畳半にガスコンロがひとつと小さな流し台がついていた。トイレとお風呂、大きな手洗い場?と洗濯機は共同。昭和の下宿感が漂ういい感じの雰囲気だった。

両親が勝手に決めてきた下宿先だったが、料理が得意で品のある素敵なおばさんに出会えた。おばさんは、子供をふたり産んでまもなくしてご主人が病気で亡くなり、子供を育てていくために得意な料理を生かそうと下宿を始めたらしい。毎日美味しいごはんが食べれるしお風呂にも入ることができる。私にとって勉強するには最高の環境だった。

人生って悪いことばかりじゃないね

寮生活を誰かに話すとき、私はその2年を下宿時代と言うのだけど、入学式が終わって、さぁいよいよ短大生活開始の夜、ほんの少しだけ不安でホームシックになった。でも、次の日の朝、それはすっかり消えていた。

母の叫び声のない朝は快適な目覚めだった。朝ごはんは7時15分くらいにリビングに行くとすでに料理がテーブルに並べられている。あまり早く行くとおばさんが準備しながら、「もう少し待っててね」と焦ってしまうから、なんとなくの時間で食べに行っていた。8時半くらいまでが朝の食事時間。テーブルは10人が座れる大きなもので、最高な座り心地のソファもある。そこで新聞も読めるし、テレビも見れる。先輩や後輩と団らんすることができるが、食事時間が終わるとおばさんの生活スペースとなる。使った食器は自分で洗って決められた場所に置く。リビングの向かいにおばさんのお部屋があって、だいたいおばさんはその部屋にいる。「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」などを言うと、おばさんは部屋の中から「どうぞ」とか「お粗末さまでした」など言ってくれるので声のみのやりとりをする。おばさんの声はいつだって優しい穏やかな声だった。良い朝だった。おばさんは毎日朝ドラを見ているようだった。下宿恒例、春の合コン祭りとかもあったけど、まぁ、それは今度書くことにして、私は18歳でやっと穏やかな朝がこの世にあることを知った。

私が10代後半で心に決めたことがある。それは絶対に朝はバタバタしないことと、大声を出さないということ。下宿時代、落ち着いた朝があるだけで、学校での嫌なことも頑張ろうかなという気持ちになれた。それにおばさんの美味しいご飯は、疲れた夕方、今日の夜ご飯はなんだろう?という家に帰る楽しみにつながった。寮のおばさんはいつも笑顔で「みほちゃん、おかえり」と笑ってくれた。散らかった部屋、汚い台所、ごろーんと横なりテレビを見ている母がいる家には帰りたくなかった私も寮なら帰りたいと思えた。衣食住って大切なんだなと思った。おばさんには感謝しているし、今も大好きな人だ。不況の中、誰よりも早く就職が決まるように勉強に専念できたのは間違いなく寮のおばさんのおかげだ。

寮と学校の行き来をしていると、「彼氏いないの?かわいそー」と言ってくる人がいたりしたけど、付き合いたいと思う男性がいないのだから仕方ない。その子は大学生の年上彼氏がいるようで、話は聞いていたのだけど、就職活動をしなかった。なんで???って聞いたら、彼氏と結婚するらしい。そうなんだ…。だからアルバイトしながら実家暮らしをするんだ。へー。。。適当に聞いていた。その時の私には結婚願望なんてなかったし、独りで生きていこうと思っていた。私にも両親のような“あれ”な部分ってあると思っていたから…。これ以上被害を出さないためにも私は1人で生きていこう。県外でどこか親が来れない遠い所に就職をしよう。好きなものを食べて好きなものを買って、自分のお金で自由に生きていこう。私にとって短大生活は遊ぶためではなかった。絶対に自由になるための最後の2年。ちなみに…その彼女。大学生の彼と結婚を夢見た彼女は短大卒業と同時に彼に振られてしまった。同じ大学で好きな子が出来たとかなんとか。私の就職先には高学歴男子が揃っていたので飲み会しないか?と連絡が来たけど、とりあえず忙しいと言って断った。

実母に言われたことがある。

4時に目が覚めたことがあったけど、まだ真っ暗だったね。みほちゃんは早寝早起きしてるって言ってたけど、あんなに暗いときから起きてるんだなってみほちゃんのこと思ったよ。お母さん、自分は早起きできないって思ってたけど、早く寝たら早く目が覚めるんだね。早く起きたら家事が早く終わるんだね…。

母がそんなことに気が付いたのは50代後半。

先日、私の生活を「村人の生活」と言ったお母さんがいたのだけど、夜19時くらいに買い物に行って21時に夜ご飯。12時過ぎに寝るから結局朝は子供を叫んでて…と言っていた。

姉も朝はとにかく叫んでいるらしい。
何で叫ぶの?って前に聞いたら、家族みんなが遅いから、時間ギリギリで焦るし…と言っていた。

遅いのはおめぇだよって
言いたいのを我慢して、ふーんと聞いておいた。

まぁ、人生いろいろある。

姉はとうとう庭にテントを設置したらしい。
家を建てて、庭のテントにいる人って面白すぎるから
たまに経過報告があったら聞こうかなとは思う。
距離は置けるけど、縁が切れないのが家族か…。


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