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"834.194光"によせて


“めちゃくちゃ特殊で、今までにないライブです”

2020年2月上旬。
バンドのフロントマンである山口一郎さんがラジオで撒いた餌のような言葉を反芻しながら、わたしは大宮へ向かっていた。


サカナクションのSAKANAQUARIUM 2020 "834.194 光"。
昨夏の暗闇ライブのそのさきを意識させるようなタイトルのライブは、確かに特殊なものだった。
真っ白な衣装と数々の仕掛けから漂う、実験のような空気。
ホールの規模ならではの良いアナログ感。
ツアータイトルにも含まれている『光』の存在感に大きく引き寄せられた、コンセプト色の強い音楽体験だったと思う。

光でメンバーを魅せるのではなく、光を見せる、音を照らすライブ。
「10代の頃にこのライブを体感していたら照明スタッフを志していたかも」
そんなたらればを想うくらい、光と影ばかり目で追い、揺れていた。

好きだと思ったところを、好きなだけ切り取っていこうと思う。

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グッドバイ
ツアービジュアルの『834.194』の反転文字を見たときから自分のなかで描いていた点と点が、ここで繋がった気がした。
『834.194』はバンドにとっての過去、既に歩んできた道のりを表す数字であり、振り返った視点から見えた景色ということで反転。
『光』はこの先の未来にあって、まだ届いていないもの、これから目指すところにあるものだから正位置。
そして、反転に巻き戻しの意味も込めてられているのなら、前回ツアー(SAKANAQUARIUM 2019 "834.194")で披露されたセットリストを逆から順に辿るかもしれない… そんな期待をどこかに抱えていた。
あのとき、最後に聴いたのはグッドバイ。
そのグッドバイからこのライブははじまった。

『闇夜、行くよ』から『光』へ抜ける。
それがこのツアーのコンセプトなのではないかと考えていたわたしは、
「探してた答えはない 此処には多分ないな」
「不確かな未来へ舵を切る」
そんな決意をうたうこの曲をライブの幕開けとして選んだことに勝手な文脈を感じつつ、一年前の春を思い返しながら目の前の光景を眺めた。
4人のコーラスアレンジがいつになく荘厳に聴こえたことが忘れられない。


ユリイカ
天井兼照明・可動式LEDの演出が今でも頭にチラつく。
冒頭は白色蛍光灯のイメージ…?
LEDがチカチカと頼りなく明滅し、徐々に面全体が点灯していく様子から、ステージ空間がオフィスのように見えてしまい「ここは東京」と歌われる前から東京を意識させられた。
奇しくもユリイカの前に演奏されたのは「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」。
週末深夜の恵比寿から、月曜日の朝を迎えた情景なのだろうか。
カメラで切り抜かれたモノクロの都市が、ステージに投影されていく。

過去のライブでもユリイカはさまざまな東京を描いてきたが、今回はそれらよりもずっとつめたい東京のように見えた。
それでも、ベース草刈さんのコーラスは底抜けに優しいものだった。
それこそ朝焼けのように。
その対比がまた痛切で、すこしせつなくなる。

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ワンダーランド
ネイティブダンサーのアレンジにうっとりしたのち、透き通るような「君は深い」のメロディーとともに白い光につつまれた。
この曲に行き着くまでの流れには靄の中にいるような不穏さ・不安定さがあり、踊ればいいのか染み入ればいいのかいったりきたりと揺さぶらされていたけれど、そんな雑念を払うような開放感があった。
"834.194"ツアーではじめましてされたワンダーランドとは全然違う顔。
炎のような攻める音ではなく、むしろノイズが取り払われるような、浄化に近い音。
この曲はどう受け取ればいい?と一年前も困惑したけれど、そのときともまた違う頭のぐらつきがあった。可能性がありすぎる。


流線
暗闇。そのなかを、メンバーの輪郭をなぞるように静かに動く光。
彼らの背後で、白いつなぎを着たスタッフがその手で光源を操っている。
光を「手で描いた」…?
岩寺さんの唸るようなギターソロとの緩急で一気に深海に落とされたあと、最後の「見つけたんだ」の残響が消える頃に、ステージでひとつの灯が詩的にぼんやりとつきはじめる。


茶柱
灯の正体はイサム・ノグチによる変形提灯 "AKARI"だった。
わたしは『光の彫刻』とも呼ばれているこの作品が大好きで、ステージ上のそのシルエットを視認したとき、息をひそめてふるえた。
伝統工芸の再構築をつづける丸若さんとの出会いから生まれた曲に、岐阜提灯の伝統技法にのっとって作られたAKARIを重ねてくるとは。粋だ。

暖色の光と影によるやわらかなコントラスト。
些細な音にも敏感に反応してしまいそうな、やや緊張感のある空気。
茶柱はアルバム内でも一郎さんにとってパーソナル寄りな曲だと思っていたが、生の歌声を聴いたことでその印象が一層濃くなった。
そして、岡崎さんのピアノと草刈さんのコントラバス。
1番から2番へ茶葉がふやけるように、深く、やわらかく変化する音が染み入った。
流線~茶柱、そしてこのあとのナイロンの糸へと移る流れが、このライブのなかでもとりわけ忘れがたい、美しい時間だった。

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ボイル
ボイルだとわかった瞬間、なぜかとてもホッとしたことを覚えている。
が、クライマックスの「ライズした」の歌詞に合わせてステージ天井がグーーーンと拡張したことに唸り上がった。
(いつもより空間が狭く見えるのはきっと何かあるんだろうな…)と、ライブのはじめから予感めいたものがうっすらとあっても、それを気にしなくなるほど世界観に引きつけられたところで、裏返される。
この曲で浮上し踊らせるモードに移行する流れのおかげで、緊張感が一気にほどけ、心地よく浅瀬へと導かれた。


セントレイ
サウンドの突き抜け感がすごすぎて。
アイデンティティも新宝島もまだ演っていないのに、このあとで必ずくると確信を持っているはずなのに、あっ  ここでライブ終わる!って思った方、わたし以外にもいませんか。
「今煙の中を歩き続けて」
「寂しくなる夜を抜けて」
ずっとずっと前に生まれた曲なのに、このツアーのために生まれた曲なのかと思うくらい、新しい顔が見えた気がした。


アイデンティティ→ 多分、風。→ ルーキー
浅瀬のボスラッシュ。
多分、風。からルーキーへのつなぎは匂わせ感が薄く、それぞれの存在感がきっぱりとして清々しいのに、無理矢理な印象はちっともなくて。
こんなこともできるんですか…と驚きうっとりしていたので、岩寺さん草刈さんのふたりがバチを投げ捨てる瞬間は見損ねた。楽しかったんです。


さよならはエモーション

本編最後の曲。


ここにこの曲を持ってきた意味。
ライブのはじめ、グッドバイを浴びたときのように「そうだったらいいな」と抱えていた気持ちが再びあふれだす。
江島さんの熱いながらも正確な頼れるリズムと、一郎さんの切実な声に乗せられて、緊張が一気に開放に向かう。
霧を抜けた先で「AH ミル」と歌われた瞬間、メンバーの背後のLEDパネルに大きな目のような像が現れた。
眩しい視線にざわつく自分の心の内を探られたようで、ドキリとする。

「ヨルヲヌケ」、「ヒカリヲヌケ」。
これまでのすべてがまるで一本の線で繋がるような、圧巻の構成だった。

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会場

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開演前と終演後の視界。
楽器も機材も見えないほどのスモークに満ちた空間から、"834.194"が裏返しに浮かぶ景色へ。
やはり光へ向かう音楽体験だったのだと感じた。
ちなみにこのスモーク、会場の外のロビーにまで漏れており。
客の出入りで煙が流れたのだろうが、もはやそれすら織り込み済みなのか、偶然の産物なのかはわからない。
導入から期待を煽る仕掛けが絶妙…


衣装
全員、全身、白い。
あの曲ではためくおなじみのコートも白。黒子も白子になっていた。
そのなかでもステージ両端のふたりの衣装が刺さる。
岡崎さんのボトムス、形からしてスカートかなと思いきや実はズボンで。
岩寺さんのコート、Aラインでフリルたっぷりで、シルエットだけ見るとなんだかワンピースのようにも見えて。
良い違和感が混ざり合っている姿にときめいた。
そして忘れちゃいけないサスペンダー。
三田さんへ多大なる感謝を。


消えたラップトップタイム
ライブでミュージックを演らないサカナクションに出会うとは思わなかった…
実は、終演後にお会いしたフォロワーさんに指摘されるまで気づかず。
5つのラップトップの前に横一列に並ぶ5人の姿も壮観だけれど、バンドサウンドを貫いて曲と曲のつなぎでワクワクソワソワさせられる時間もまた新鮮だった。


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帰り道、電車に揺られながら感じていたのは「吹っ切れたなあ、サカナクション」というすがすがしさだった。
MCで一郎さんの口から「今回のツアーは『ルックバック』『振り返る』がコンセプト」という言葉が出たけれど、わたしはこのツアーで彼らが今やりたいこと、今好きだと思う表現を貫いていたことが、とにかく嬉しかった。
過去を振り返っているけれど、すごく前向きで新しいことを試している今。
幕張メッセクラスの公演に比べると派手さには欠ける点もあるけれど、非常にコンセプチュアルで、焦点を絞った真面目なライブ。
常に大衆の感覚と自分達の感覚のバランスを測りながら音楽を届けてきた5人が、今回は自分達の色を濃く出してきたように思えて「こういうの、もっと観たい!」と未来を感じたライブだった。

そして、今まで以上に強く感じたのがチームの一体感。
流線にて、メンバーと同じ舞台に立って光を描いた照明スタッフをはじめ、普段なら裏方と呼ばれるような方々もメンバーと同じ世界観に染まるような衣装をまとっていた。


“チームサカナクションのみんなのおかげで僕らはライブができています”

一郎さんが度々口にするその言葉の重みを、演出を通してではなく、スタッフ本人たちの姿を直に見つめることで感じた経験は初めてかもしれない。
良いバンドには良いチームがついている。
ミュージシャンとスタッフが互いに信頼感を持って、ひとつのものを生み出そうとすること。
それを感じ取ることができるのは、ファンとして大変幸せなことだと思う。

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わたしはサカナクションがつくる余白が好きだ。
一見一聴しただけでは飲みこめない、時にやや試されているようにも思えるような作品や世界観を届けてくれる姿勢が好きだ。
勝手ながら、わたしはそこにバンドからリスナーへ向けた信頼感があるように感じている。
今回も新しいアーティストフォトやツアービジュアル、ライブまでのすべての流れを通じて、彼らから「あなたの感性に委ねます」と言われたような気がした。

“自由に、自分のステップで”

ライブ中、ここぞ!というときに放たれる一郎さんのこの言葉は、彼なりの音楽への導き方のひとつなのだろうと思うけれど。
わたしは「自由に踊って、自由に感じる」ことも、そこに込められていると解している。

開演から終演までの間、他の誰の感性にも触れず、自分の五感だけで瞬間的に感じ取ったもの。そこには嘘がないと思う。
だから自分のなかに生まれた「好き」の感情をまっすぐ信じられる。
ただもどかしいことに、その感覚は日々薄れていく。
思い出はすぐに息を切らすし、感動はそう長くは続かない。

何も語らずに済むならそれもまあいいだろう。
けれどもわたしは言葉を選び、形にして、残しておきたいと思う。
野暮な行いかもしれないけれど、いつでも自分が「そうしたい」と思ったときに、なるべく当時と近い温度で思い出せるように。

複雑でわかりにくいものに出会っても「難しいからめんどくさい」といって切り捨てずに、その奥にあるおもしろさ、美しさ、楽しさに、自分なりに反応していける人間でいたい。
決意というより、もはや祈りに近いような思いだけれど、彼らの音楽を肌で浴びる度にその祈りは更新されている。
「サカナクションが大好きだ」の気持ちとともに。


サカナクションのみなさん
忘れたくない夜をありがとうございました。
このツアーにしかないかがやきを最後まで見届けられなかったことは、どうしたってもどかしく、やるせないけれど。
この過程がなかったら生まれてこなかったものもきっとあるはずと信じ、これからも夜を乗りこなします。
そしていつか、光のつづきを一緒に見られる日が来ることを願っています。

次の目的地へと向かう背中を、これからも応援させてください。

ちよ



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