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野生化した建物の生息地 古虎渓廃墟郡

愛知県瀬戸市から岐阜県多治見市を結ぶ道路がある。通称愛岐道路と呼ばれる道路だ。庄内川(岐阜県内では土岐川)やJR中央線と並行するように走るこの道路の沿線には沢山の廃墟があることが知られている。岐阜県側から愛知県方面に走っていると、愛知県に入った直後にJR中央線定光寺駅付近を通ることになるがそこには「千歳楼」という2003年に廃業し、荒廃が進む旅館の廃墟がある。「千歳楼」に関しては今年の6月に訪問済みなので下記から見て頂きたい。

この道路を愛知県側から岐阜県側に向けて走ると岐阜に入ってすぐにJR中央線の古虎渓駅が見えてくる。古虎渓駅は前述の定光寺駅の隣の駅なのだが、古虎渓駅の周辺にも沢山の廃墟があることで有名だ。今回はそれらの廃墟を見るために古虎渓へと足を運んだ。

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蛇足かもしれないが、少し鉄道トンネルについて触れよう。この周辺にはJR中央線の現在は使われていない旧トンネル郡(愛岐トンネル郡)がある。愛岐トンネル郡は愛知県と岐阜県にある十数個のトンネル郡の総称である。明治時代に作られ工事中に多数の犠牲者を出したトンネルとして心霊マニアや廃墟マニアの間では有名な場所だ。愛知県内にある4つのトンネルは春と秋に一般公開されるそうなので、一般公開の際に見学に行くのも良いかもしれない。
閑話休題しよう。

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岐阜県に入って間もなく「古虎渓トンネル」を通過することになるが、この廃墟は古虎渓トンネルのすぐ側にある。9月上旬という時期もあり建物は緑に飲み込まれそうになっている。この建物は「古渓荘」という旅館だったようだ。

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二階部分を撮ってみた。ガラスは大部分が割れている。この建物が廃墟化してどれほど経っているのかは分からないが、千歳楼のようにスプレーで落書きされたり荒らされたりしている様には見えない。

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「古渓荘」と隣接するように建っている廃墟。不動産の看板が付いているがここは不動産会社の廃墟ではない。元々は「和風れすとらんあすなろ」というレストランだったようだ。恐らく古渓荘の宿泊客や愛岐道路を通りかかった人が利用するレストランだったのだろう。

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古渓荘・和風レストランあすなろの裏側は斜面になっているが、そこにも廃墟化した建物がひっそりと建っている。1枚目の写真はまだ建物があることが分かると思うが、2枚目の写真は建物が完全に藪と同化していて建物を見つけにくいかもしれない。

これらの廃墟を探索した人がいるのでURLを掲載しておく。

上記URLのサイトに「廃墟は全部で5個ありました。」という記述が見られるが、これらの建物が現役時代にどのように運用されていたのかは非常に興味深い。

古渓荘及び和風れすとらんあすなろについては現役時代の情報がインターネット上では一切見当たらなかった。なので、情報を得るために図書館を訪ね、ゼンリンが発行する「住宅地図」及び東濃新報社出版部発行の「多治見市居住者地図」を参照した。以下の表はそれらの資料から得られた情報をまとめたものである。

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住宅地図を信頼するのであれば古渓荘から居住者がいなくなったのは2005年ごろということになる・・・と思っていたのだが,そういうことではないらしい。先日,下記のようなコメントが寄せられた。

ゼンリン社住宅地図は「表札の内容」を同社の調査員が現地調査し反映させているので、表札の方が住んでいるかどうか、建物が機能しているかどうかとは全く別問題です。

(本当にコメントありがとうございます・・!!)

すなわち住宅地図か言えることは「2005年までは『古渓荘』の表札が確認できた」ということだけである。

尚,2ちゃんねる(現5チャンネル)には2003年の書き込みで「岐阜の愛岐道路沿い古虎渓の南にあるトンネル隣のドライブインの廃墟、あれはなんですか?私は以前そこがおがこ温泉だと思ってました。引きちぎられたカーテンが掛かっててめちゃぶきみ。。」(スレッドの170番目の書き込みより引用)というものがある。このことから、古渓荘は2003年時点で既に廃墟になっていたということが分かる。結局のところ古渓荘がいつ現在の管理放棄状態になったのかは分からずじまいであった。

参考として書くが、「古渓荘」「和風れすとらんあすなろ」の廃墟としての具体的な言及は2008年公開のこちらのブログや2009年のこちらのブログが嚆矢である。(2008年公開のブログは『古渓荘』を『古虎渓ハウス』として紹介しているが誤りである)。尚、Googleマップのストリートビューでは2008年11月に撮影された古渓荘の様子を見ることができる。現在のストリートビューと比較してかなり画質が粗く細部がうまく写っていないが、現在ほどガラスが割れていないようにも見える。
※「古渓荘」「和風れすとらんあすなろ」の現役時の様子は一切わかっていないし、いつ頃廃墟になったのかについても不明です。あなたの記憶が頼りです。「この地域に昔から住んでいます!」「廃墟化していく様子を車窓から眺めてきました!」という方は是非本ページ下部の感想フォームから情報を送ってください。些細な情報でも構いません!!

岐阜県有数の廃墟、通称「古虎渓ハウス」へ

全長148mの古虎渓トンネルを超えるとすぐに信号機の設置された交差点にたどり着く。そして、その信号を右折して、坂を上っているとそれは見えてくる。

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こちらが岐阜県有数の廃墟・心霊スポットとして有名な通称古虎渓ハウスだ。建物は緑に弄ばれて完全に野生化してしまっている。
時々、古虎渓ハウスを「廃旅館」と記述しているサイトが有るが、正しくは「廃温泉施設」である。下記サイトでは「古虎渓ハウス」が何の廃墟なのかを調査した結果が記されていた。

同サイトは現地の住人にインタビューをして、「古虎渓ハウス」がその昔どのような施設だったのかを調査している。その調査によれば、古虎渓ハウスではかつて、名古屋から来た業者が温泉を運営していたのだという。その後、昭和40年ごろに同温泉は廃業し、その後「大鋸屑(オガコ)温泉」なるオガクズを使った蒸し風呂が目玉の施設になったそうだ。しかし、オガコ温泉は2回ほど火事を起こし廃業、その後建物は放置され今日に至るらしい。

古虎渓ハウスが温泉施設であったことは住宅地図からも裏付けが取れる。
ゼンリン地図80年版では「オカゴ温泉 和興」と表記されている。(尚、ゼンリン地図79年版では古虎渓ハウスの建物は表記されているものの建物の名称などは表記されていなかった)。ゼンリン地図81〜82年版は確認できていないのだが、ゼンリン地図83年版では「オカゴ温泉 和興」の表記が消失している。ゼンリン地図は「表札の情報を元に作成される」ということなので,この頃には参照するべき表札(看板)が無くなっていたと推測される。おそらく,古虎渓ハウスは1980年頃に廃業し、その後管理放棄され現在の廃墟状態になったのではないだろうか。
ちなみに、「廃墟探検地図」によれば「オカゴ温泉」になる前は「イオンハウスセンター」という名前の保養所だったらしい。ゼンリン地図79年版で古虎渓ハウスの位置に建物名の表記がないのは丁度イオンハウスセンターからオカゴ温泉になる際の移行期だったからなのかもしれない。
また、一部のサイトでは古虎渓ハウスについて「廃旅館」と表記しているが、古虎渓ハウスに宿泊機能があったか否かは現状不明である。

上記のサイトでは古虎渓ハウス内部の様子を見ることが出来る。探索日時は2005年だが2005年の時点でもかなり荒れ果てていることが分かる。建物の倒壊は時間の問題かもしれない。
※古虎渓ハウスも現役時の様子は一切わかっていません。また、具体的にいつ頃から廃墟になったのかも不明です。あなたの記憶だけが本当に頼りです。営業当時のパンフレットやリーフレットをお持ちの方、何かの情報をお持ちの方、ほんの些細な情報でも結構なので本ページ下部の感想フォームを活用してくださると嬉しいです。

まとめ

古虎渓の廃墟の数には驚かされた。古渓荘も古虎渓ハウスも比較的小規模な廃墟だが見応えがあった。古渓荘が廃業・廃墟化した年代が気になる。また、古虎渓ハウスや古渓荘の営業時の様子は大変興味深いので今後はこれらの廃墟の営業時の様子について調べて行きたい。それでは最後まで閲覧してくださったことに感謝する。お時間が許すのであれば下記アンケートに協力して頂きたい。
※しつこいようですが、「古虎渓ハウス」及び「古渓荘」・「和風れすとらんあすなろ」について情報をお持ちの方はどんな些細な情報でも構いませんので情報提供をお願いします。あなたの記憶は私にとって、廃墟の現役時代をイメージできる材料となりとても貴重なものです。尚、情報提供の際にはどの廃墟についての情報なのか明記していただけると助かります。

参考文献

更新履歴

2018年9月19日:公開
2019年5月12日:余分な画像及び文章削除、googleフォーム追加
2020年12月17日:住宅地図の記載を元に追記
2021年6月28日:2020年12月17日の追記内容を表にして整理
2021年9月23日:加筆修正
2021年11月3日:加筆修正
2022年1月11日:記載内容修正(コメントありがとうございました!)

2016年頃から廃墟に関心を寄せる。2018年、実際に廃墟へと趣き、廃墟訪問にハマる。現在はその廃墟がかつてどのように使われていたのか、いつ頃廃墟になったのかを特定することに力を注ぐ。 地域・店舗限定のエナジードリンクを見つけることにもハマっている。自他共に認めるエナドリ中毒者。