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12.ぼくがおかあさんをまもります。

お母さんを守ります。

友人が死んだ…
肺癌が全身に転移してしまった…。

彼はいつも笑顔だった。

病室で抗がん剤の点滴を受けながらでも笑顔だった。
その姿は痩せ細り、まるで別人に思えたが、それでもその笑顔は変わらなかった。
私は友人たちとともに抗がん剤治療費が足りなくて、その捻出のために駈けまくった。
それがせめてもの救いだったからだ…。
しかし、治療もむなしくわずか一か月でこの世から去ってしまった。

私たちは、友人たちだけで葬儀を行うこととなった。
彼の両親や兄弟は誰もいない。

私は数年前に離婚したかれの妻に連絡を入れた。
最初は嫌がっていたが、驚きを隠せない思いを電話の気配で感じていた…。
彼女は一人息子を連れて葬儀場に参列することとなった。

葬儀場には、お坊さんはいない、友人三人、元妻と中学生の男の子を入れてわずかに五人の告別式となった。
人はこんなにもあっけないものなのか、
私たちは泣いた…。

彼女は、泣きながら遺体に向かって話しかけた…。「…どうして、もっと早く、こんな状況を教えてくれなかったのか?どうして、あなたは最後の最後まで私たちを苦しめるの…」と遺体に向かって叫び泣き崩れた…。
二人には深い、深い歴史があり、私たちにはわからない…。

一人息子と会うのは幼稚園以来だったが、彼は私たちを覚えていた。

私たちは、気の狂ったように取り乱す彼女と一人息子のことを心配した…。
私たちに何ができるのだろうか?
どうすれば支えることが出来るだろうか?
考えたが答えはない。
それほど私たちは貧乏になっていた…。
友人は保険というものに何も入っていないため、高額な治療費となっていた。
再び、友人の遺体に顔を向けると、そこにはいつもの彼がいた。
友人の顔は、いつもの笑顔だった。

彼は最後の最後まで笑顔のままだった…。

そのまま火葬場に出向いた。そこには誰もいない休日の火葬場のように、わずか五人だけで貸切り状態のような静かな火葬となった…。
それはとても不思議な光景だった。

御骨は、友人三人と息子と四人で拾い上げ骨壺に入れた。肖像写真はスマホで撮った画面上の画像を骨壺の隣に置いた。
帰り際、彼女はまだ泣き崩れたままだったが、
涙一つ流さなかった中学生の長男から声をかけられた。


「今日は、ありがとうございます。父が大変お世話になりました」と、姿勢を正しくして、丁重に頭を下げた。私たちも丁重に頭を下げた。
すると、次のように話した、
「もう、心配しないでください、お母さんはぼくが守ります、
だから安心してください…」

そんな言葉はどこから出るのだろう?
中学一年生といえば、昨年まで小学生だったはず。
私たちは驚いたと同時に、涙一つ流さない彼の目の輝きと、まっすぐな思いと覚悟を感じた。

そして、そこには笑顔があった…。

私たちは再び泣いた…。
その笑顔とその姿は、私たちの友人に瓜二つだったからだ…。
まるで死んだ友人が語り掛けているような錯覚を起こすぐらい、そこには元気な時の友人そのままの姿があったから…。

とても静かな斎場、誰もいない斎場。
雲一つなく、空は晴れ渡り、ただ静かに鳥たちが飛んでいる。
私たち三人は笑顔で、「お母さんをお願いします、ありがとう…」とお別れした。

今でも、あの友人の笑顔と彼の笑顔、
そして「僕がお母さんを守ります…」という言葉が頭から離れない。

coucouです。ごぎげんよう。「スキ」をありがとう!とてもうれしく思います。


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