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22.世界で一番悲しい女と、世界で一番悲しい男の鎮静剤。

「 世界でいちばん悲しい女」

久しぶりに素敵な詩に出合いました。
「世界でいちばん悲しい女」~「世界でいちばんしあわせな女」のお話です。

この世界で一番悲しい女性とは、どんな人のことをいうのでしょう。
二〇世紀初頭のフランス。その才能と美貌からピカソやブラックといった芸術家や多くの詩人たちのミューズとして愛され、画家でありながら詩や散文も書き残してきたマリー・ローランサンという女性がいました。次の詩は、今なお世界に知られる本詩「鎮静剤」を「世界でいちばん悲しい女」として、菅原敏さんの手によって詠み直されたものです。
「詩人天気予報」などで話題の詩人・菅原敏さんが、古今東西の詩人の作品に新訳としてタイトル内容を直したものです。


世界でいちばん悲しい女

いったい誰か
お話ししましょう

憂鬱で退屈な女より 
悲しいのは 
幸せをつかめない女

幸せをつかめない女より 
悲しいのは 
病気に苦しむ女

病気に苦しむ女より 
悲しいのは 
捨てられた女


世界でいちばん悲しい女

あなたもいつか
出会うでしょうか

捨てられた女より 
悲しいのは 
生涯ひとりで過ごす女

生涯ひとりの女より
悲しいのは 
求められない女

求められない女より
悲しいのは 
死んだ女

そして
死んだ女より 
悲しいのは 
忘れられた女


「鎮静剤」 マリー・ローランサン(堀口大学訳)


退屈な女より 
もっと哀れなのは 悲しい女です
悲しい女より 
もっと哀れなのは 不幸な女です
不幸な女より 
もっと哀れなのは 病気の女です
病気の女より 
もっと哀れなのは 捨てられた女です
捨てられた女より 
もっと哀れなのは よるべない女です
よるべない女より 
もっと哀れなのは 追われた女です
追われた女より 
もっと哀れなのは 死んだ女です
死んだ女より 
もっと哀れなのは 忘れられた女です

別訳です。  
            「鎮静剤」マリー・ローランサン(大島辰夫訳)

 もの憂いよりは悲しくて

 悲しいよりは不仕合わせ

 不仕合わせよりは苦しくて

 苦しいよりは捨てられて

 捨てられたよりは天涯孤独

 孤独の身よりは流浪の身

 流浪の身よりは死んだ者

 死んでるよりは忘れられて

 世界でいちばん悲しい女

 あなたもいつか
 知るのでしょうか


マリー・ローランサン (一八八三年〜一九五六年 満七二歳没)マリー・ローランサンは二〇世紀前半に活動したフランスの女性画家でした。ローランサンの母・ポーリーヌは年上の妻子ある代議士と付き合い未婚のままパリでマリーを生みました。
そのため私生児として育ったマリーは父親が誰かを長い間知りませんでした。幼い彼女は私生児という意味を理解できなかったようですが、あまりにも哀しい母の人生と自分の人生を照らし合わせて作られた詩のような気がします。彼女の作品のほとんどといって良いかもしれませんが、美しい女性ばかりです。

最終的には結婚をしても幸せになることのないまま、養女に自分の夢を託します。女は哀しい、女は苦しく、辛い。女は、生涯孤独にいきるもの、女は死んでいくだけ、女は不幸なもの…。時代がそうさせている部分もあったでしよう。

しかし、その不幸な女を描き続け、美しさを訴え続けてきた作品のような気がしています(これは私だけの勝手な考えですが…)

幼児期より読書や絵を描くのが好きで、いつしか画家になることを夢見ていました。夢見がちな少女時代を経て高校を卒業すると、アカデミー・アンベールで絵を学ぶことになりました。ここでブラックと知り合い、キュビズムの影響を受ける。

 一九〇七年にサロン・ド・アンデパンダンに初出展。このころ画家のたまり場だったモンマルトルのアトリエ兼用の古いアパート、通称「洗濯船」に多くの芸術家たちが集まっていました。この「洗濯船」でピカソや詩人アポリネールらと青春時代を送るのです。
最終に作品を掲載していますが、絵の作風を見ると想いだすかもしれません。パステルカラーで少女たちを描き出す夢のような世界は、多くの人々を魅了しました。私も一時期パステルカラーに夢中になった時代があり、懐かしさを覚えています。

パステルカラーとは「中間色」を意味し、 赤、緑、青などの原色や鮮やかな色ではなく、薄いピンクやブルーなど彩度は低いが淡い色調で明るい色のことをいいます。ローランサンは二二歳の時、詩人のアポリネールと出会い二人は恋に落ちます。
しかし、一九一一年にアポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者として警察に拘留された頃には(無罪でした)、ローランサンのアポリネールへの恋愛感情も冷めていきました。
この「鎮静剤」という詩には。彼女の深い悲しみが隠されており、自分の母の不幸、自らの女としての人生に対して物凄い悲観的な言葉を吐き続けますが、「世界でいちばん悲しい女」は忘れられた女で、忘れられていない彼女の最期は「世界でいちばん幸せな女」だと感じます。
「その後もアポリネールはローランサンを忘れられず、その想いを歌った詩が彼の代表作「ミラボー橋」という有名な詩が残されています。

一九一二年に開いた最初の個展は評判となり、その後、次第にキュビスムから脱します。彼女が三〇歳になる頃にはエコール・ド・パリの新進画家として知られるようになりました。
一九一四年に三一歳でドイツ人男爵と結婚。これによりドイツ国籍となりましたが、その直後に第一次世界大戦が始まり、マドリッド、バルセロナへの亡命生活を余儀なくされてしまいました。戦後、離婚すると、単身パリに戻ってからの彼女の画風を大きく変わりました。
それまで彼女の絵にあった「憂い」は消え去り、繊細さと華やかさと官能性をあわせ持つ、夢の世界の幸せな少女像を生み出したのです。第二次世界大戦に向かう爛熟した平和のひととき、それはフランス史上では狂乱の時代と称されましたが、その時代を体現した売れっ子画家となりました。

パリの上流婦人の間では、彼女に肖像画を注文することが流行となりました。また舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功を収め続けます。
第二次世界大戦の際には、フランスを占領したドイツ軍によって自宅を接収されて苦労しましたが創作活動を続けました。戦後、世の中の美術の動きがより急進的になっていくのを見守り、静かな老いの中で自らが信じる美を描き続けました。

一九五四年、シュザンヌ・モローを養女として迎えますが、その二年後の一九五六年にパリにて心臓発作にて死去。七二歳でした。


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           マリー・ローランサン「キス」(1927年)

「世界でいちばん悲しい女」という詩があるのですから、「世界でいちばん悲しい男」の詩を探してみましたが残念ながらありませんでした。そこで、次のような作品を作りました。

「世界でいちばん悲しい男」

波瀾万丈に生きる男より
もっと哀れなのは
平凡な男

平凡な男より
もっと哀れなのは
恋をしない男

恋をしない男より
もっと哀れなことは
人を信じない男
人を信じない男より
もっと哀れなものは
金のある男

金のある男より
もっと哀れなものは
しあわせを与えられない男

しあわせを与えられない男より
もっと哀れなものは
働くことのできない男

働くことのできない男より
もっと哀れなものは
すべてを見届けることのできない男

すべてを見届けることのできない男より
もっと哀れなものは
愛することを忘れてしまった男


coucou「世界でいちばんか悲しい男の鎮痛剤」

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coucouです。ごきげんよう!世界で一番幸せな人たちへ。


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