ゴジラ-1.0

まず驚いたのが映像技術。いるはずのないものを“いる“かのように見せる魔法を目にした。あまりにも自然すぎて技術を技術と感じないほどで、正直今もあまり感動はない。

二つめは俳優陣の演技。
いちばんの衝撃は安藤サクラさん。序盤の、特攻から逃げた敷島を責め立てる場面は眉をひそめずにはいられなかった。ここら辺は語り尽くせないので割愛。

【ネタバレ注意】

敷島がゴジラに向けた弾に対して吐き捨てた「こんなんじゃ役に立たない」と、前線に行くことを逃れた男らがゴジラ駆逐作戦に乗じて放った「これで役に立てる」を重ね合わせると、それは戦争が人間をただ敵を殺すための“モノ“に変えることを意味する。
何度も作中に出てきた「役に立つ」という言葉が反芻される。
また学者がゴジラ駆逐作戦の際男らに放った「誰も死なないことを誇りとする」これは考えてみれば当たり前のことだが、戦時はそうではなかった。特攻から逃げ1人残された敷島は捨て身を覚悟でゴジラに突っ込むが、最後はパラシュートで脱出する。死んだと思っていたヒロインもラストシーンで生存が確認され、結局誰も死ななかったところに、製作陣の「人はモノではない、人は生きろ」という身に迫る思いを感じずにはいられなかった。

一部の人は「なんだ誰も死なないのか」と期待を裏切られただろうが、そこで誰かが死んだら、まさしくそれは「彼らは敵を倒すための“モノ“にすぎなかった、尊い犠牲だった」という戯言を肯定することになるのではないだろうか。

いまどき漫画等の創作物には、敵を倒すための過程で尊い犠牲が伴う。それは果たして良いのだろうか?そう自問せずにはいられなかった。なぜかそれらが浅薄に見えてきてしまった。面白いものを作るには仕方ないことなのかもしれないが。

あとは、最後のお決まり不穏シーン。歴史と同じで、何もかも繰り返すものなのかと深読みしてしまった。一方でサメ映画好きからすると、人の体を食いちぎるシーン、咥えて遠くにぶん投げるシーンの効果音がサメ映画を彷彿とさせ面白かった。最後の不穏シーンも含めて、やはり怪獣映画は怪獣映画で似通ったものがある。

最後に、エンドロールの合唱。人間の底力を感じた。

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