ベートーヴェン交響曲第9番と自由

ベートーヴェン生誕250周年ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven)の正確な誕生日はわかっていないそうですが、一般的には1770年12月16日頃に誕生したとされることが多いようです。つまり、今年はちょうどベートーヴェン生誕250年の記念の年となります。ベートーヴェンが作曲した曲の中には名曲がたくさんありますが、この時期に演奏される曲といえばやはりベートーヴェン作曲の「交響曲第9番」でしょう。今回はこの第九について書いていこうと思います。

交響曲第9番 ニ短調 作品125

「交響曲第9番 ニ短調 作品125」、もしくは日本では親しみを込めて「第九」とも呼ばれるこの曲は、1815年頃から作曲が開始され1824年5月7日にウィーンのケルントナートーア劇場において初演されたそうです。

この曲には、大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかったティンパニ以外の打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用など、今までの交響曲にはないような特徴があります。
その中でも特に特徴的なのは独唱や混声合唱の導入でしょう。そのため、この曲には「合唱付き」などの副題がつけられることもあります。
声楽が使用された曲は以前にもありましたが、効果的に声楽が使われた作品はこれが初めてでした。
第九の第四楽章の主題の合唱部分は「歓喜の歌」とも呼ばれ、世界中で親しまれています。特にヨーロッパでは、この歓喜の歌が「欧州の歌」とされています。

この曲は、交響曲の常識を破りロマン派の扉を開いた作品であり、シューベルトやブラームス、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなど、後の交響曲作曲家たちに多大な影響を与えたようです。

一般に第九の演奏時間は65分前後とされます。通常のCDの記録時間は約74分ですが、これは第九が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められたという説もあります。ちなみに、「歓喜の歌」と呼ばれるあの有名なメロディは、最終楽章(第4楽章)の最後のほう(55分後くらい)に出てきます。

2つの交響曲

ベートーヴェンは、後期の交響曲は2曲1組として作曲していました。(第五番「運命」と第六番「田園」、第七番と第八番)
そして、この第九番ももともとは2曲1組として作曲される予定でした。
一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。後者はベートーベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていたそうです。
しかし、ベートーヴェンはのちにこの2つの楽曲の構想を一つに統一し、より完成度の高い一つの交響曲の作曲へと方針を転換していきました。ここで生まれた交響曲こそが、実際の交響曲第9番でした。

歓喜に寄す

第九にはフリードリヒ・フォン・シラー (Friedrich von Schiller) の詩「歓喜に寄す」(の一部)が用いられています。

「歓喜に寄す (An die Freude)」はフランス革命 (1789年7月14日 – 1795年8月22日) より少し前の1785年に発表されました。当時26歳だったシラーはドイツの封建的な政治形態と専制主義的な君主制に悩まされてきただけに、ここで人類愛と何百万人の人たちの団結を高らかに歌いました。シラーは当初、これに「自由に寄す」という題を付けようとしたそうですが、当時の官憲のきびしさから「自由(Freiheit:フライハイト)」を発音の似た「歓喜(Freude:フロイデ)」という言葉に改めたのだと言われています。

自由を求めて

「第九」は、当時のウィーンの社会情勢を反映していると言われることもあります。
1821年にオーストリア宰相に就任したクレメンス・フォン・メッテルニヒ (Klemens von Metternich) は、保守的な政治を展開し、自由を求める市民を抑圧しました。そして、このメッテルニヒによる体制は1848年まで続くことになります。
ウィーン市民が「自由を求める声」や「体勢への不満」が、この作品に影響を与えているのかもしれません。

現代は、自由で平和な世の中になりました。しかし、今年2020年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって、自由を制限されるような年になってしまいました。新型コロナウイルス感染症が収束し、また自由が戻ることを祈りながらこの曲を聞いてみるのもいいのかもしれませんね。

参考文献


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