東方の大英雄ではない――英雄「アーラシュ」の真実(2)
しばしばフィクションで結ばれた像やWikiに書かれた記述が歴史上の事実としてまことしやかに語られることがある。これは、そんな虚実の境界を見定めようという試みである。
前回に続き取り上げるのは『Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ』(以下蒼銀)並びに『Fate/Grand Order』(以下FGO)での登場により、日本でも一躍有名になったイラン神話の英雄「アーラシュ」だ。
FGOにおけるアーラシュ
2015年7月30日に配信されたFGO内で確認できるアーラシュのプロフィールは次の通り。
古代ペルシャにおける伝説の大英雄。
西アジアでの神代最後の王とも呼ばれる
マヌーチェフル王の戦士として、六十年に渡る
ペルシャ・トゥルク間の戦争を終結させた。
両国の民に平穏と安寧を与えた救世の勇者。
異名は、アーラシュ・カマンガー。
英語表記すればアーラシュ・ザ・アーチャー、
西アジア世界に於いて弓兵とはすなわち
平穏をもたらせしアーラシュをこそ指し示す。
現代でも彼は西アジアの人々に愛されている。
2016年8月に発行された書籍『Fate/Grand Order material I』(以下FGOマテリアル)では、上記のフルテキスト版と思われるものが史上の実像・人物像として記載されている(p.149)。
『蒼銀』作者の桜井光氏がキャラクター設定を担当しているが、クトゥルー神話研究家で翻訳家の森瀬繚氏が史料調査に協力したという。
また、2016年8月に配信された『教えてFGO! 偉人と神話のぐらんどおーだー』(以下教えてFGO)の連載1時間目ではアーラシュの生前の物語がより具体的に語られている。
教えてFGOでもヒストリカル・チェックとして森瀬氏の名前が挙がっているが、森瀬氏が関わったのは連載4時間目以降であるという。
東方の大英雄ではない?
史上の実像・人物像として記載されているわけではないが、FGOにおける召喚時の台詞などから、アーラシュは「東方の大英雄」としてファンの間で知られている。
「東方の大英雄、アーラシュとは俺のことだ」
だが、何を以て「東方」としているのか。ローマを基準線とする東方世界(オリエント)のことだろうか。だが東方世界とはヨーロッパ人から見た大雑把な地域区分であり、東洋人が自らを「東方の~」と称することは普通しない。
ヨーロッパなどでアーラシュが東方の大英雄として名高いわけでもない。日本に限らず、欧米でも彼を扱った資料や彼を題材にした作品がほとんど存在しない、無名の英雄なのである。その呼び名は一体どこから来たのだろうか……。
また、何を以て「大英雄」としているのか。そもそも和解の締結により戦争を終結させたのはマヌーチェフル王である。アーラシュは和解条件の実行役として最後の締めくくりを担当したに過ぎない。救世の勇者というよりは、終戦の象徴というべき人物だろう。
アーラシュの形容詞として最も適切なものを挙げるとすれば、それは「イランの国民的英雄」だろう。彼の偉業の本質は、自己犠牲によりイランの国土を取り戻した、というところにある。彼はイランにとっての英雄ではあるが、周辺国にとってはそうではない。
何せ成立が紀元前の口承であるからして、いつ頃から現在のような英雄譚となったのか、明確な伝承地域を特定することはできない。ゾロアスター教の聖典「アヴェスター」のヤシュトでも言及されるなど、イランという国家の枠組みを超えたアーリア人の神話に語られるという意味で、東方あるいは西アジアの英雄という拡大解釈がされたのかもしれない。
弓兵の代名詞ではない?
FGOにおけるプロフィールから、アーラシュは弓兵の代名詞と言われる。
西アジア世界に於いて弓兵とはすなわち平穏をもたらせしアーラシュをこそ指し示す。
しかし、この記述についても客観的に裏付けるような文献は確認できなかった。9世紀の著名な歴史学者アル=タバリーによると、イラン国内に限定しても名高い弓兵は彼を含め3名いる。
According to Tabari the shot that slew king Sawa was one of three that gave renown to archers in Persian story. The others were that of Arish and that of Sufarai who in the war undertaken to avenge Piruz shot at a chief in the vanguard of Khushnawaz and pierced his horse's head with an arrow.
別の時代の別の視点では彼こそが弓兵の代名詞であったのかもしれないが、「西アジア世界に於いて~」というのはどう考えても盛り過ぎである。
類似の言及として、ニコニコ大百科の「アーチャー(蒼銀のフラグメンツ)」の記事には次のように記述されている。
ちなみに、「アーラシュ・カマンガー」とは、”後にも先にも弓兵は彼のみ”という含意があり、彼の勇名であると同時に、戦争屋としての弓使いを戒める言葉であることから彼への尊敬が推し量ることができる。
これはどこから出てきた話だろうか……もしご存知の方がいれば教えていただきたい。
アーラシュ・カマンガーではない?
異名は、アーラシュ・カマンガー。
アーラシュの異名(?)を「アーラシュ・カマンガー」としているのは、日本のFGOと蒼銀のみである。海外では「アーラシェ・カマーンギール」(ペルシア語:آرش کمانگیر, ラテン文字転写: Āraŝ-e Kamāngīr)と呼ぶのが一般的で、実は北米版FGOのプロフィールでも"Arash Kamangir"となっている。
外国人名の発音はググっても分からないことが多いが、そういう時はYouTubeで探すと大抵見つかる。アーラシェ・カマーンギールの発音は上記動画の00(分):18(秒)付近で聴くことができる。
「カマンガー」(英:Kamangar) はイラン系欧米人に、その元となった「カマンガル」(ペルシア語:کمانگر)はイラン人に見られるファミリーネームであり、弓家業に由来する職業姓だろう。前者の例としてはYouTubeの前CEOサラー・カマンガー氏が、後者の例としてはイランの人権活動家ファルザ(ー)ド・カマ(ー)ンガル氏が挙げられる。
「カマーンギール」の英語形変化が「カマンガー」なのではなく、そもそもペルシア語での綴りからして異なるのだ。
カマーンギールの出所は?
数々のアーラシュ関連資料をあたっているsleepsounds氏は、19世紀に書かれたASIATIC PAPER Part.IIIで初めて「カマーンギール」の名を目にしたという。(この詩人の特定には至らなかった)
In the words of a poet ' Arish is called Kaman-Gir, i. e., a reputed archer, on this account, that he threw an arrow from Amel to Marv.'
アーラシュがこの通称で定着したのは、20世紀後半のアーラシュ・ブームの折、Siavash Kasraiが1959年に発表した叙事詩「アーラシェ・カマーンギール」のヒットが大きな要因と見て間違いない。この詩は民族主義を掲げるパフラヴィー朝の下で学校の教科書にも載ったという。
この「カマーンギール」は「弓兵」「射手」といった修飾語としての意味合いが強く、「弓兵アーラシュ」「射手のアーラシュ」と訳すべきだろう。このため「弓兵アーラシェ・カマーンギール」は重言となるので注意されたし。
迅き弓兵ではない?
アーラシュの異名についてはFGOマテリアルに若干の補足がある。
異名は、アーラシュ・カマンガー。もしくは「迅き弓兵(swift archer)」。
うーん、これは東方聖典叢書の一部としてゼンド=アヴェスターが編集された際の英語翻訳が悪い。アヴェスター語では"erexshô xshviwi-ishush"、附属の注釈では"Aris of the swift arrow"、日本語では「迅き矢のアーラシュ」なのだが、なぜか本文では"Erekhsha, the swift archer"、つまり「迅き弓兵のアーラシュ」と翻訳されている。(太字は筆者による)
一見、人を矢に例えるのはおかしいように思えるが、ここでは星と慈雨の神・ティシュトリヤが矢のように飛ぶ様をアーラシュの放った矢になぞらえる聖句であるため、「矢」とするのが適切であろう。他の文献でも二つ名は軒並み「迅き矢」である。
アーラシュ・ザ・アーチャーではない?
英語表記すればアーラシュ・ザ・アーチャー
揚げ足を取るようで言うのも忍びないが、"the"に母音が続く場合は「ザ」ではなく「ジ」と発音する。よって「アーラシュ・ザ・アーチャー」ではなく「アーラシュ・ジ・アーチャー」が正しい。ザ・エンドってね。
最後までお読みいただきありがとうございました。