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ハラリの論考の問題について
まえがき:『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』の個人的感想
歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』を再読した。ハラリの思想を支持している人には申し訳ないが、個人的な感想としては非常に面白くなかった。
ハラリの主張の問題点については本垢の有料記事でも書いたのであまり詳しく書きすぎると有料記事を購入していただいた方に申し訳ないので詳しいことは書かないが簡潔にまとめて書く。
『サピエンス全史』の問題
まず第一に『サピエンス全史』だが、これは彼の代表作と言ってもいい本なので内容を知っている人も多いだろう。彼はホモサピエンスだけが虚構を作り出し、その虚構を信じられたから他の人類を滅ぼし生き残れたのだと主張しているが本当だろうか?
私にはとてもそうは思えない。実はホモサピエンスと同時代に存在したネアンデルタール人も虚構的なものを認知できる能力を持っていた可能性が高い。
その証拠にスペインのアビオネス洞窟で発見されたネアンデルタール人が描いたと思われる壁画は抽象的な芸術作品であり、壁画を調査した研究チームも「ネアンデルタール人には粗野で頭が鈍いイメージがあったが、実はホモ・サピエンスと同等の認知能力をもっていた(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27604660S8A300C1000000?channel=DF130120166020)」と結論付けているほどだ。
ならば、ホモサピエンスだけが虚構を認知できたと考えるのは不自然ではないだろうか?
まずこの点においてハラリの「ホモサピエンスだけが虚構を認知できた」という論考は怪しいように思える。
第二にハラリは「虚構を認知することでホモサピエンスは宗教的な大きな共同体を作り出し、数で他の人類を圧倒した」と考察しているがこれも疑わしく思える。
何故なら、この当時の宗教は「複雑な認知的意味合いとして神学として考察するものではない」(ロビン・ダンバー 『人類進化の謎を解き明かす』より)という指摘があるからだ。
人類学者のダンバーによると、当時の宗教とは複雑な認知的意味合いとしての神学的なものではなく、単に自分の経験を誰かに理解させるために使われていたものだという。つまり、宗教とは個人的な経験に関するもので、集団の統率を取るために利用されていたとは考えにくいという訳だ。
このダンバーの指摘からすると、ハラリの考えるような宗教が当時ホモサピエンスの間で共有されていたとは考えにくい。
そして、ホモサピエンスだけが虚構を認知できるとハラリは言うが、実は人間以外でも虚構を認知できる生物はいる。サルだ。
サルは貨幣システムという虚構を理解することが出来るという実験結果がある。もし、ハラリの言うようにホモサピエンスだけが虚構を認知できるのであれば貨幣システムをサルが認知できるとは考えにくい。
ここまでの要点をまとめると、①ネアンデルタール人も虚構を創造し、認知できた可能性が高い。②当時の宗教は神学的なものではなかった可能性がある。③ホモサピエンス以外の動物(サル)も虚構(貨幣システム)を認知できる。ということだ。
この三点の理由で『サピエンス全史』の内容には同意できなかった。同意できない箇所が多いから面白くないというのもあるが、そもそもこのような虚構が我々の社会を支えているという指摘は今までにも『想像の共同体』や『共同幻想論』なんかにもあったわけで、そういった点で『サピエンス全史』は過去に書かれてきた本の焼き直し感が強く、個人的には「あー、またこういう系の本ね」というような感想しかなかった。
『ホモ・デウス』の問題
で、次に『ホモ・デウス』だが、これも全く面白くなかった。『ホモ・デウス』は簡単に言ってしまえば、科学技術(またはBMIなど)や遺伝子改良技術が発展することで、人体を改造したホモサピエンスが神のようになるというような未来予想をした本だ。ホモサピエンスが神みたいになるということからハラリはそれをタイトルにもなっている「ホモ・デウス」と名づけている。
だが、このような進歩主義観は、正直なところ私のようなポストモダンを研究している人間からすると信じがたい。人間は科学的、理性的に進歩するはずだという未来予想は近代からされていたが、ポストモダンでも宗教みたいなものは多く存在し続けている。
それに未だに科学を疑う(反自然主義的な)哲学者も多い。哲学者のマルクス・ガブリエルなんかはその代表的な人物だと言えるだろう。ガブリエルはハラリの見解に次のように述べている。
ハラリと私とを関連付けて質問されたのは初めてのことですが、とても鋭い指摘だと思います。ハラリは言ってみれば、自然主義、科学主義の司祭のような存在でしょう。テクノロジーによって人類が消滅し超人が誕生するという彼の本は、聖書のテクノバージョンといえるかもしれません。(『コンピューターは哲学者に勝てない――気鋭の38歳教授が考える「科学主義」の隘路』)
つまるところハラリの未来予測は、近代の進歩主義的な未来予測を外した知識人たちの二の舞になるようにしか思えない。『ホモ・デウス』のようなことが起こるようなほど、世界は科学主義・自然主義的ではないし、むしろ今は文化相対主義的であり、科学を嫌う国や人も多くいる。
私にはハラリの思い描くような人々が人類規模で人体を科学技術を用いて改造するというような未来が訪れるようには到底思えない。勿論、一部の人間が人体改造をするということはあり得るだろうが、だからといってホモデウス対既存の人類というような対立が起きるとは考えにくいし、(ハラリは誰もがホモデウスを目指したがるかのように考えているが)誰もがホモデウスみたいになりたいと考えるわけでもあるまい。
ハラリの『ホモ・デウス』は、中世から近代にかけて世界中の文化が科学主義的に統一されるということがなかったという歴史から何も学ばず、ポストモダンという混沌とした時代が訪れてしまった問題を完全に無視している杜撰な予想にしか(私には)見えなかった。
結論:ハラリへの個人的評価
個人的な見解としては、ハラリは過大評価されすぎているように思える。(勿論、彼の論考のすべてが駄目とまでは言わないが)。
当初、私はハラリの本は生物学者のジャレド・ダイアモンドの著書『銃・病原菌・鉄』のように科学的な調査が行われた上で書かれている科学系の本かと思っていたが、どうやらそのような本ではなく、どちらかと言うと思想書に近い本だという印象を受けた。ハラリの思想を支持している人間には申し訳ないが、個人的な見解としてはハラリの主張は間違っているか、杜撰な予測が多いように思える。
今のところ2冊(厳密には4冊)も(個人的には)ハズレ本を読んだので『21lessons』は読む気が起きないが、気が向いたら読むかもしれない。
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参考資料
・ユヴァル・ノア・ハラリ 著 『 サピエンス全史(上)(下)文明の構造と人類の幸福』 河出書房新社 2016年
・ユヴァル・ノア・ハラリ 著 『ホモ・デウス (上)(下)テクノロジーとサピエンスの未来』 河出書房新社 2018年
・ロビン・ダンバー 著 『人類進化の謎を解き明かす』 インターシフト 2016年
・『コンピューターは哲学者に勝てない――気鋭の38歳教授が考える「科学主義」の隘路』(https://news.yahoo.co.jp/feature/1016/)
・『世界最古の洞窟壁画、現生人類より前と判明 その衝撃』 (https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27604660S8A300C1000000?channel=DF130120166020)
・『サルもお金のために売春する!? 実験で明らかになった、ダメ人間とサルの悲しい共通点』 (https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201312_post_47/)
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