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〈短編小説〉 どうしようも無いの?


休憩がてら、少し眠ろう、と思って眠った午後四時。
そして今の時刻は午後5時半、と少し。
完全に寝過ぎたな、と思いながら、階下に降りると、同じくらいの時間に寝たはずの母親と妹はもう、起きていた。
何やらタブレットの画面を覗き込んで、難しそうな、苛立ったような顔をしている。ちらっと見たところから察するに、何かのサイトから勝手にログアウトしてしまって、ログインに苦戦しているようだった。

今日は、母親の機嫌が悪い。
朝は良かったけれど、昼にご飯を食べるから、とリビングで顔を突き合わせた時にはもう、疲れたような、悲しいような、怒っているような顔だった。
ある時、「ああ、自分は母親を疲れさせたり悲しませたり怒らせたりするだけで、それを笑顔の方に持っていくことはできないんだ。」ときづいてかなしくなった。
あのひとは、感情の起伏が激しい。
怒るのも、疲れるのも、悲しむのも、体から何かフェロモンでも出しているのか、と思うぐらい、自分にわかってしまう。
友人にそんなことを零したら、友人は母親にそんなに気を配ったことは無い、と言っていた。これは友人の母親が相当優しい菩薩のような人であるか、もしくは友人が鈍感かの二択だと思っているけれど。
でもたぶん、そんなものだろう。きっと。いや、そうだと思いたい。

ひどく母親に怒られたことを思い出す。
何回母親に注意されても、床に本を散らばらせて片付けない自分に怒って、本棚の中の本を全て捨てようとしたことがあった。
買ったばかりのグレース・ケリーの伝記も、ハリー・ポッターも、ぜんぶ、ぜんぶ一緒くたにゴミ袋に詰められて、蛍光灯の光を反射させていた。唯一ベッドサイドの机に置いていたムーミンだけはゴミ袋の中に入れられなかったから、自分は母親の怒りが解けるまで、そればかり読んでいた。
本が自分にとって救いだったあの頃、それらをゴミ袋の中に詰められるのは本当に気が滅入った覚えがある。そして、ムーミンが唯一の宝物に思えたことも。
今考えると、ただの燃えるゴミに本は出せない。
むしろ古本屋にでも売ったほうが良いから、怒り任せにやったことだとわかる。
ただ、そんなことを考えられるほど自分は大人ではなかった。

時々、考える。
自分が母親を怒らせずに、疲れさせずに、悲しませずにいられる方法を。家事に関することは自分に割り振ってもらえたらやるのだけれど、たぶん、割り振ることも家事なのだ。そして、母親が何をしようとしているのか察するほど、自分は超能力者に近づいてはいない。だから、母親を金輪際怒らせない方法なんて「自分が死ぬ」か「関わらない」ぐらいしか思いつかない。
或いは、自分が周りを怒らせずに、疲れさせずに、悲しませずにいられる方法を考える。でもやっぱり思いつかない。いくら考えても、ひとの言われたら嫌なこと、なんてリストアップできる気がしない。だから、同じように「自分が死ぬ」もしくは「関わらない」しか、やっぱり思いつかない。

大人になったら、周りを、母親を。
怒らせない方法もわかるかな、なんて短絡的に考える。
けど、どいつもこいつもこどもだ。そう上手くいくものでは無いだろう。
やっぱりこどもだ。
みんなみんな、子供。
でも、性善説を信じるならば自分のような人間は子供ほど純粋じゃあない。
だから、「子供じみている」なんていうべきか。
みんなみんな、真ん中で止まっちゃえばいいのに。
ドイツ語で「子供たち」を表す「kinder」は中性名詞だ。
大人になれば、性別が分かれていくから、らしい。
じゃあ、子供なら、子供じみていたら、みんな善か悪かを分けずに、真ん中にいられるのだろうか? 
ふたつに分けなくて、みんなみんなこどものままで。争わなくて。
自分はいつだってピーターパンにはなれなくて、やっぱりウェンディが性に合っているのかもしれない。
「真ん中にいても、そうしたら人間は、人でいる間は成長できないかもしれないけどねえ。」
呟いた言葉も、考えも窓ガラスに跳ね返らずに、雨の夕方に溶ける。
ことばが消えた雨空を見ながら、じっとりした雨音と水滴に自分も溶けそうになった。