見出し画像

大人は子供の夕暮れ

人は一体一人前になれるのだろうか。わたしには到底むりなのはわかっている。でも、一人前ってどおいうことだろう。どうなったら、一人前と言えるのだろう。誰かから一人前の資格がもらえるのだろうか。自分で決めるのか。わからない。


そもそも、大人になるっていつわかるのだろう。わたしはずっとずっとわからなかった。もともと、子供っぽいところあるし、やらかしたり、欲ばりだし、自立してないし、いろいろある。あとは、結婚してないし、子供もいないから、大人になる区切りを付けられてないというのがある。節目がない。こんなわたしは大人と呼べるの?っておもい続けてきた。


「大人は子供の夕暮れ」とも言う。そうなると、人生のハイライトはとうの昔に過ぎ去ってしまったことになる。そうはいっても、歳を重ねてこそのおもしろみというのが、確かにある。今を、そんなことをわかりかけてきた年頃だということを自覚はしている。いわゆる人生のいいときだと。わたしは大人です、と大きな声では言えないけれど、小さな声でくらいなら言えるようになったのかもしれないと、少しは思えてきた。一体この歳で何を言ってるのでしょう。どうしようもなく、恥ずかしさこらえて正直に書いてます。今日は障害のせいにしたくないのです。もっと、根源的な部分での個のところでの特性ありき。


わたしは、死ぬまで子ども心を持っていたいとおもってる。そこを失ってはなんにもできなくなってしまう。でも、そのことと、大人になるってことは、どんなふうに関係してくるのだろう。わからない。今のわたしにはわからない。教えてもらいたい。今はわからなくてもいいことなのかもしれないけど。きっと、いろいろやってくうちにわかっていくのかもしれない。


こんなことができたら大人、とか。こんなことしたら大人らしくない、とか。そんな基準がどうも嘘っぽく聞こえてしょうがない。そんなときに遭遇する。母との小競り合いはよくこんなことで、腹を立てている。価値観が違うから仕方ない。わたしは母にもっと楽しく考えようよ、とそんなことばかり言っている。そして、母はそんなわたしを危機感が薄いとおもっている。それは確かにそうかもしれない。ただ、今がハッピーかどうかがその先につながってくるってことを、母に伝えたい。それしかないんだ。そうだ、今だ。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?