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エッセイ「トイレで指先に水を付ける人」

コロナの第七波がきているけど、
もう慣れてきているからか、
どこか自分とは関係のないことのように感じてしまう。

思い返せば私の10代、20代はコロナの影響がめちゃくちゃあった。
影響があったと同時にそれは私にとって普通の生活、
つまりコロナが生活の一部なんだよな。
(過去形だけどまだ普通に20代です)

元々家から出ることも人と比べれば少ないし、
手洗いも好きだし……

そうだ手洗いで思い出したけど、


お店やレストランのお手洗いで
ハンドソープをつけて手を洗う人少な過ぎないか!?
問題が私の中で渦巻いている。

なんか指先に水をチャチャッとかけて、
そのままハンカチも使わずに
髪の毛を弄り倒して髪の毛に水気を移し、
ドアを開ける人多過ぎないか?

そんな少量の水を第一関節くらいにまでに
しかつけないのなら、そのまま扉を開けて出て行ってしまった方が
楽であろうに。

根本の意識としては、
「手を洗わず外に出る人だと他人に思われたくない」
なんだろうけど、
こっちからしたらそんなん洗ってないようなもんだからね。

自意識の使い方間違っとるんよ。

前に私はあまりにも物忘れがひどいので、
アップルウォッチとやらを買おうとしていたけど、
やめたのはこの手洗い問題があるからだ。

私は手を洗うなら、
手首までしっかりと洗いたい。
そうすると時計をつけていると
めちゃくちゃ邪魔になるわけだ。

しかも私は変なところでめんどくさがり屋なので
一度つけた時計は帰って家に着くまで外さない。
それに無くし物も多いので

外ではずす=失くす

のイコール関係が子供の頃から
出来上がっている。

つまり、手をくまなく石鹸で洗いたいけど、
腕時計をはずすのはどうしようもなく不安!!
はずすとは即ち死!!なんだか過激だ。

しかし、
1000円の防水時計と、30000のアップルウォッチでは
価値が違いすぎる。

そんな高級なもん買ってしまったら、
それは即ち不安を買うと言う
ことなのだ!

30000円払って不安を買う。
30000円払って手洗いの障害を買う。

そうなったら
結局買わなくなった。

こんなこと言っておいていつか
私の腕にはアップルウォッチが輝いているのかも
しれないけど

今日の突っかかりエッセイ終わり!

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