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私は萌えまで排出系なのかもしれない


昨日のマンガ講義を受けて、
自分は本当に排出することで漫画を書いてきてたんだなぁ
(なぜか他人事)
みたいな感覚になった。

萌えはあるんだよね、性癖ともいう。 
「10個自分の萌えを書いてください」
って言われた時も、サラサラ20個くらい書けたし。

(気になる人は私のツイート遡りな!
ここじゃ載せられない単語のオンパレードだい!!)

萌えの人の気持ちもわかるのよ。
講義聞いてて、「うんうん」って、
萌えも排出も理解して聞いてたし。


でも私の萌えって、
排出に近いんだなって思ったの。

例えば。オブラートに包んでいうけど、

私は物理的に人を縛り付けるのが好き。

それが萌えなのよ。

でもそれって、
圧倒的技術で相手が私から
離れられないように
技術で惚れさせて、
精神も身動き取れないようにしたいんだよね。

自分に自信がないから、
技術で相手が逃れられないようにしたい。




結局「離れないで!寂しいよ!」
って子供みたいな気持ち。

なのに体だけ大人になってしまった。


心って歳を重なるごとに閉じていくもの
らしいんだけど、
私はズーーーっと開きっぱなし。



漫画だって、
親に見せるような気持ちで、
「ねぇ!絵を書いてみたよ!見てよ!!」
って気持ちで見せてる。時が多い。

書くことに全集中して、
ネットに投げる時は何も考えられなくなって、
ただ全力で投げつけてる時が最近増えたけど。

結局、何か書くことは毎日必ずやってしまうことで、
逃れられない生活の一部で、

それをなんで晒してるのかってのは

10代の頃から
漫画を使って親に変わる代替えの人を探して、探して
彷徨ってるこれについるのかもしれない。



漫画家になりたいってのは、
インターーネット上で、
親みたいな人たちに
見て欲しいって気持ちなんだよね。
まるで子供なんだよ。

コンテンツとして消費してほしい。




私しかいないんだって思って欲しくてたまらないから
取る行動なんだよね。

これが満たされない気持ちの核の部分。





だって、私書き終わった漫画に愛情なんて湧かない。
全部床に置きっぱなし。

キャラに愛情なんて湧かない。
苦しんで苦しんで報われるなって気持ちで書いてる。

敷布団の上でぐしゃぐしゃになってる。

疲れて一緒に寝てる。

寝汗をかいた足の裏に引っ付いてるから
朝起きたら「っ…邪魔くせぇ…」
って剥がしてまた床に放置。

だから私の執筆スペースは
紙まみれ。しっちゃかめっちゃか。

壁には構成、模写、気付き、ネームのメモが貼りまくられてて、
タンスには映画、小説、マンガの感想メモが一面張り付いてる。

床にはネームや、構想の紙がばら撒かれてる。

それですっ転んで、
いってぇぇ…!!ってなってる。
マジで学ばない。


これはまだましな方のタンス
でも家ん中大体こんな感じ
壁はこんな感じで
メモとペンキで描いた絵まみれ



排出系の作家は
「満たされない思いがあるから作品を書く」
んだけど、
私の場合は萌えも満たされない思い
から来るのかもしれない。



根底には「こんなにできるんだから
私しかいないよね?ねぇそうだよね!!!」
って気持ちがある。

だから誰よりも上手くなりたい。



穏やかな人を演じなれているけど、
本当はいつかみんないなくなるんだろうなー
って気持ちで生きてる。

どうでもいいから振り切れてる
フリをするのに、
全く振り切れない。
そんな自分が嫌になる。



とか思った昨日の講義。




今日のnote終わり!!!

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