忘れたくない優しさ

自作の中で特に好きな、特別気に入ってる作品を選ぼうとすると、
決まってどれも幸せな時のもの。
受けた幸せを返したかった時のもの。


多かれ少なかれ、人から与えられた自己肯定感と、注ぎ注がれた愛が溢れた時間が背景にある。

昨年から生み出したもの、今描いてるもの、
上手に描けても[これじゃない]感が拭えないのは、このせいだ。




忘れたくない優しさを形に残すのと
忘れられない痛みを排出するのとでは
出来上がったものの価値は天と地の差がある。


自分でつけてしまうこの価値の差は、多分ずっと見てくれる人にはバレてるし
初めて見てくれる人にもなんとなく伝わってしまうんだろう。


後者で生み出された最近の作品は
誰かを惹きつけるような魅力がないのだ。
大事だけど、愛しくはないから。


随分直感的な解釈だけど、あながち間違ってないと思う。

前者で生み出すことの愛しさを知り、
それに慣れてしまった事と、
そうして生まれた作品が評価されてきた事は、
結構厄介事だった。

悔しいな。

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