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才能を磨くとは

読了

 ついさっき、小説『沈黙のパレード』を読み終えた。『ガリレオシリーズ』はドラマ『ガリレオ』にハマり、文庫本を買い始めたことで追いかけて今に至る。大した金額も所持していなかった中学生時代だからという背景と、それまで文庫本で揃えていたというのもあり、最新作『沈黙のパレード』がハードカバーで発売されても文庫本が発売される日を待ち、つい先日手に入れることができた。早速読み始め、今このnoteを書いている。

内容については既知の方は熟知しているだろうし、まだ知らない方もいるだろうということで触れないようにしようと思う。しかも、書こうと思っているのはそういうことでもないからおざなりかもしれない。

結局詳細は書かざるを得ない

作中では蓮沼寛一という男が二つの殺人を犯している。

 一度目は約二十三年前、本橋夫妻の一二歳の娘本橋優奈が失踪し四年後に白骨死体として山中から発見される。状況証拠から蓮沼という男が浮上し罪に問われるも、状況証拠のみしか発見できず起訴されるも黙秘を徹底し無罪に。

 二度目は、約三年前、東京都は菊野市で食事処『なみきや』を営む並木家の長女で幼少の頃から歌手の才に恵まれ、その容姿と性格から店の看板娘で常連客から愛されており、後に登場する新倉直紀・留美夫妻にプロデビューのための指導を受けていた当時大学生の並木佐織が、縁もゆかりも無い静岡県のゴミ屋敷の焼け跡から発見された。その家屋は蓮沼の継母の家でその継母も火事の前既に死亡していた。
 佐織は約三年前に死亡しており頭蓋骨には陥没があり死因の可能性はあり、再び蓮沼が浮上するも黙秘を貫き処分保留で釈放されていた。
 そんな人間は殺されても仕方ないと、この文を読むだけでも思うかもしれないが、読んでいくとよりそうなると確信している。実際、犯人である蓮沼は殺されている。

簡潔に表すと、過去の事件の遺族である増村という男が復讐のため年月をかけて犯人を探し求め接触し真相を探ると、姪を猫と表現し最終的に殺したことを自慢気に語られ、更に約三年前の事件も犯していることを知ることとなった。一時は手に掛けようとするも考え直し、このことを並木夫妻に伝え自分がその後の罪を背負いこちらの事件の真相を吐かせることを画策する。

計画案ができ、それが可能な物資を所有する並木裕太郎の旧友、戸島に遠巻きに相談するも看破され戸島は親友とその娘のため、万が一の場合でも自分が全て被りその計画の協力者、ひいては親友一家を巻き込まなくて済む計画を増村と画策し実行に移した。
戸島は佐織の恋人、高垣と音楽教育を施していた新倉直紀を協力者として罪に問われないもしくは不起訴になる程度の作業を担当させ、更には真の目的すら知らないレベルの協力者も作り、あらゆる方面での穴を塞ぐほどの徹底ぶりを発揮していた。

 しかし、イレギュラーが発生してしまう。ランチタイム後に計画を実行する予定だった並木裕太郎だったが最後の来客が腹痛を訴え病院に向かわなければならなくなり戸島との相談の末、次の機会を待つことにした。がしかし、さらなるイレギュラーとして、本来、並木裕太郎が実行するはずだった計画を、計画の中断の知らせを受けた新倉直紀が決行し苦しめて事の真相を聞き出す前に殺害してしまった。
このことで計画は遂行せざるを得ず、全員がそれぞれの役割を果たした。

ここまでが大体の流れである。やはり、詳細を語らずに書くことは難しすぎる。

湯川が見た真実

 前述の通りならなるべく伏せて書こうと思っていたが、どうも自分のスキルではそれは困難だと感じている。

 真相としては、三年前の事件の発端は新倉留美であることが判明する。それは、内海薫から報告を受けた湯川が真実にたどり着き、新倉邸を訪れその誰か、新倉留美に対して推理を説明し留美自身が当時を語りだした。

 並木佐織が失踪した日の夜、以前から佐織が高垣と交際し肉体関係を持っていると確信した新倉留美は、工事中の公園で、別れる必要はないが今はデビューに向けて集中すべきだと叱責する。しかし、佐織は新倉留美に高垣との交際現場を目撃され私生活を管理され始めたこと、新倉直紀が妻留美の才能を開花せられず、その夢を佐織に託していることに嫌気が差しておりデビューをする気もなければ、高垣との子を身籠っており、別の夢、母になるのが夢だと語る。そして、新倉留美が夫婦の思いをぶつけると、佐織はその点について感謝を述べつつ、その場で新倉直紀にデビューを諦める連絡を入れようとした。

その時、自身更には夫の夢が潰えることを危惧した新倉留美はそれを制止しどうにかデビューしてくれないかと懇願する。その際、佐織はのびのび歌いたかったのがいつの間にか勝手に夢を託され、私生活まで管理されストーカーのようで気持ち悪いと述べた。そこで新倉留美は佐織を突き倒し、怒りを更にぶちまけようとするも一向に起き上がらず動かない佐織が息をしていないことで殺人を犯したと思い、その場から逃走してしまう。
しかし、発覚が怖くなり様子を見に公園に戻ると、どういうわけか何の騒ぎも起こってはいなかったが、佐織の姿だけが身につけていたバレッタを残して忽然と消えていた。
新倉留美はそれに乗じて真実を誰にも語らず事件から約三年。死体遺棄の公訴時効が成立したある日、蓮沼から電話がかかり、新倉留美はその後の佐織の行方を知らされ、金銭的・身体的脅迫を受ける。

 佐織の遺体が発見された後、戸島らと協力していた夫から計画を話されもう隠しきれないと悟った新倉留美は全てを打ち明けた。妻が愛弟子を殺害した事実を隠すため、新倉直紀は妻を守るため尋問役である並木裕太郎の役を代わるためのイレギュラー。腹痛を訴える女性。家族代行業者を雇いその役を交代した。しかし、増村が仕込んだ睡眠薬で眠っていた蓮沼は、尋問する前に死亡させてしまった。

ここまでが事の真相である。

湯川が見た天才数学者の影

 湯川は殺害方法のトリックを見破ることに成功する。それと同時に釈然としないものを感じ、事件解決の目処がたった事の報告に来た内海薫に対して真意を明かさずに追加の調査を依頼する。湯川のこうした一見わがままのように見える依頼は過去にも存在する。しかし、湯川が訳も言わずに半ば強制する依頼というのは、単なる真相究明ではなく人として、そして誰かのためである。もっと言えば、真相究明し得られた真実でその誰かに罪を背負わせる気はないが、その誰かは真実を知らねばならないという湯川の信条や思考、感情の結果であると言えるだろう。

作中では断定されていないが、実際に佐織を殺害したのは蓮沼で間違いがないと思われる。

 事件当時、一部始終を目撃した蓮沼は新倉留美が立ち去ったのを利用して脅迫を画策した。しかし、即死したと思われた佐織は気を失っていただけで死亡していなかった可能性が高く、その後は、状況も凶器も語られていないが蓮沼が殺害したと思われる。その後遺体を周囲と疎遠の継母の家屋を遺棄する場所として利用し、増村に連絡を取り警察の動きを伺うことで時効成立を待ち、前述の脅迫を実行した。

 なぜ湯川がその場では亡くなっていなかったと推理するのか。それは高垣が佐織の高校卒業祝いでプレゼントしたバレッタである。

もし地面に頭を打ち付け頭蓋骨が陥没し死亡した場合、現場には血痕が残され、当然バレッタにも付着ているはずが、当初の調書からも新倉留美の証言からも無かったこと。更に新倉留美から見せられたバレッタからも検出されなかったことで確実なものになった。

 このことを新倉留美に伝えた湯川は、自首を促すつもりもないし、このことは誰にも口外しないと伝える。その理由は、過去に真実を暴いたことで報われなくなってしまった天才数学者の友人の献身にあると語る。

読者ならわかるだろうが、これは『容疑者Xの献身』の”X”、石神のことである。この時、自分が愛した女性が不可抗力で犯してしまった殺人を庇うために自らも一人殺害し完璧なトリックを構築することで、自分が殺人犯として罪を背負う。という常人では成せない、いや天才であり、それだけ花村靖子・美里一家、特に花村靖子に対する愛がなければできなかった事を石神はやってのけた。それも本人たちに悟られることなく。

しかし、湯川はそれを暴き、真相を花村靖子に伝える。そこには、友人が殺人犯として罪を背負うことに対する悲しみや絶望はもちろん、花村靖子に対する怒りもあったのかもしれない。
その頃の湯川が真相を明かす際の心情としては、真相を伝えなければならないという以上に、罪は償うべきだという思いからの事だと思う。

結果として、花村靖子は自首。全ての罪を認め一人目の殺人の犯人として起訴され、石神の献身は水泡に帰すこととなった。その経験が、今回の発言になっていると考えられる。

 今回の事件は、「並木夫妻の並木佐織への愛情」、「増村の異母兄妹の妹で悔恨から自殺した、本橋由美子とその娘、本橋優奈への愛情」、若干ニュアンスは違うが「新倉直紀の妻への愛情」と「高垣や戸島らの並木佐織への愛情」からくる献身によって実行された、少なくとも6元以上の1次方程式とも言えるだろう。
もし湯川が真実を草薙らに明かせば、計画には殆ど関与していない新倉留美までもが別の容疑で罪を問われる。湯川としては自分の関係者が必要以上に遠ざかることを忌避しているからこそ、今回の告白になったのだろう。そこには、彼女が初めから真実を明らかにしていればというような感情は存在しない。ただ、真実は知らなければならない、後は自らが決めるべきだという意思はより洗練され強く感じる。
 その後、新倉夫妻は話し合い、新倉直紀は傷害致死の供述を翻し殺人である旨の供述を始め、新倉留美もまた逮捕された。結果を見れば以前と同じように感じるが本質が異なる。沈黙を破ることを自分ではなく本人に委ねたのだから。

才能を磨くとは

 今回の物語は人の過去や情熱、才能があることとそれをどうするかということを考えさせられた内容だった。事の発端である新倉留美の行動は若い才能を磨くという行為の根底の感情からきたものであるが、個人的にはその感情が”才能を磨く”という行為を通り越してしまったと思う。

よく、若く世に知られていない才能のある人物を「原石」と呼ぶことがある。更には「磨けば光る原石」とも言われる。しかし実際の宝石の場合、原石から価値のある宝石になるには磨くだけでなく研磨が必要なのである。

「研磨」とは磨くというより削るに近い行為である。例えば、ダイヤモンドは原石を選別し、それをコンピュータに読み込み、原石が最高の輝きを放つのに最適なカットを割り出し、切削・研磨という工程を経てあの輝きを放っているのだそうだ。

つまり、現実に原石を輝かせるには磨くだけではなく、それ以上にこの才能はどう削り出せば最も輝くかを見極め、力を加えてその形に研磨していかなければならないとも考えられる。そう考えると、新倉夫妻は並木佐織という原石の研磨に失敗したということになる。
その研磨こそが、高垣との交際やそれを封じるためのスマホの禁止といった私生活の管理ではなかったのではないだろうか。そもそも、実際の人間と抽象された原石とでは具象的な部分では全く異なっている。

 現実の原石は切削・研磨中に割れたり欠けたりしてしまうかもしれない。しかし、それを修復できる可能性も存在する。だが、本人に輝く意志がなくなってしまえば、もうどうすることもできないのが現実の原石である。
しかも、人生において何を輝くとするかはその人の自由であり誰も強制することができないものである。並木佐織も新しい夢が今までの夢よりも輝いている・輝くはずだと感じたのだろうと思う。そうなってしまえば、夫妻に成す術はなくなってしまう。だがそれが”才能を磨く”ということなのだろう。自分はこの作品を読み終えそう思った。

 才能があるのにそれを使っていない人に対して、もったいないと思うことは往々にしてあるが、それは周囲から見える輝きの気配であり、本人からすれば今もしくは今目指している夢が最も輝いているのかもしれない。しかも、その輝きの感じ方は変化する可能性が十分にある。才能を磨く側の人間は、その原石が一人の人間であり、自分の思い描く輝きと同じ輝きを共有ないし良いと感じているわけではないということを念頭に置いて置かなければならない。
裏を返せば、磨く側・磨かれる側が目指す輝きを共有できれば狙い通りの輝きを放てる可能性が高まると思う。もちろん、本人の意志があることが大前提なのは変わりないが。

人を育てる仕事をされている方々は是非ともこの作品を読んでいただきたい。

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