試してもいないのに諦めていないか?

自分が「こうやりたい」という理想がある。いや、あった。
だけど世の中ではそれは一般的じゃなかったから、諦めた。

その諦め、早すぎないか?という話。

「試す前に諦めたほうが効率がいいよね」と思える程度の理想なら、それでもいい。

だけど、「ホントはこうしたかったな」なんてジクジク自分のなかで痛み続けるような理想があるんだったら、それは一度試してみるべきだ。

第一、私達は遅かれ早かれ自分で方法を編み出していかないといけない。

『自分の「成功」に近づく方法』と『他人の言う「成功」に近づく方法』は同一ではないからだ。

そもそも自分の「成功」と他人の言う「成功」が一致することはほぼない。

「成功」とは複雑だ。

「成功」の定義は複雑な上、人により異なる。

「大金が稼げる」なんて単純な言葉だけでは成功は表せない。

  • そこにやりがいはあったか?

  • そこに犠牲はなかったか?

  • それが必要だったか?

状況は様々である上、

仮に同じ状況であったとしても、人によって、また同じ人でも時と場合によって「成功」の捉え方は異なる。

だから、自分が本当に求めている「成功」が、他人の言っている「成功」と一致するということは稀だ。

(ただし、自分が求めてると思いこんでいる「成功」が他人の言っている「成功」と一致することはあるかもしれない。)

「成功」するやりかたも当然複雑

そして、「成功」するやり方というのは、あくまでその語り手が定義する「成功」に近づくやり方に過ぎない。

でもって、状況は刻一刻と変化する。再現性があるとは限らない。

自分にとっての「成功」がその語り手の「成功」とのズレ
自分が直面している状況とその語り手の成功した状況とのズレ

様々なズレがあるのだから、成功するやりかたにもズレがあって然るべきなだ。

探すより、作るほうが早い。

だから、私達は自分で自分にあった方法を編み出さなければならない。

他人の「成功」から方法をいくつも盗まなきゃいけないし、

自分の「成功」に対する思い込みを取っ払って、自分が本当に「成功」だと思えるものを確かにしていかなければいけない。

その中で、自分と似た人というのがカンタンに見つかれば、その方を参考にできるが、そうではないことも多い。

だったら、探すのではなく、自分で例をつくってしまえばいい。

だから、自分の思いのままに試してみるというのは、ひとつアリ何じゃないか。

試してもいないのに諦めていないか?
他人の「成功」にはたどり着かなくとも、それを試せば得られるものはあるんじゃないか?
それをやらないのはもったいなくないか?

(執筆後のメモ)

これは、私がtwitterを自分勝手にやるための言い訳。

やけに長くなった。

あと、抽象的すぎないか、コレ?


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