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0101-02 札幌区(M14札幌市街条丁目制定)

 明治13年、郡区町村制の施行により、札幌区役所が設置され、その翌年の明治14年には、道路名による住居表示が改められ、札幌市街に現在と同様の条丁目が制定されました。
 ここでは、明治14年の条丁目新設について取り上げます。


明治14年6月25日開拓使札幌本庁甲第104号(原文縦書き)

当庁管下石狩国札幌区市街ノ義従前ノ町名ヲ廃シ左ノ通改称候条此旨布達候事

旧名        右 改称
 後志通      大通
 渡島通、日高通  南一条
 爾志通、沙流通  南二条
 檜山通、新冠通  南三条
 津軽通、静内通  南四条
 福島通、三石通  南五条
 上磯通      南六条
 本願寺前通    南七条
 浜益通      北一条
 厚田通      北二条
 札幌通      北三条
 石狩通      北四条
 樺戸通      北五条
 空知通      北六条
 西創成町     西一丁目
 胆振通 夕張通  西二丁目
 山越通 上川通  西三丁目
 虻田通 小樽通  西四丁目
 有珠通      西五丁目
 室蘭通      西六丁目
 幌別通      西七丁目
 白老通      西八丁目
 勇払通      西九丁目
 千歳通      西十丁目
 岩内通      西十一丁目
 東創成町     東一丁目
 浦河通 雨竜通  東二丁目
 様似通      東三丁目
 幌泉通      東四丁目


 さて、この布達(告示)では、「○○通」が「○条」や「○丁目」に変わったことは記載されていても、具体的に○条が○丁目まであるということは記載されていません。
 それでは、この時点における条丁目の範囲は、どのようなものであったのでしょうか。

 札幌市戸籍住民課作成の「町名の変遷図 資料編」によると、この時点で下記の条丁目が存在していたと記載されています。

大通(西1~8丁目、東1~3丁目)
南1条(西1~11丁目、東1~4丁目)
南2条(西1~11丁目、東1~4丁目)
南3条(西1~9丁目、東1~4丁目)
南4条(西1~9丁目、東1~3丁目)
南5条(西1~9丁目、東1~3丁目)
南6条(西1~9丁目、東1~3丁目)
南7条(西1~7丁目)
北1条(西1~8丁目、東1・2丁目)
北2条(西1~4丁目、東1・2丁目)
北3条(西1~4丁目、東1・2丁目)
北4条(西1~4丁目、東1・2丁目)
北5条(西1~4丁目、東1・2丁目)
北6条(西1~8丁目、東1・2丁目)

 また、同資料によると、南4条東4丁目については「告示もれ?」と記載されていますが、実際はどうなのでしょうか?


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