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親との「心地よい距離感」

こんばんは。
大学の図書館で出会った、お気に入りの
銀色夏生さん…に名前を寄せた
水色冬温です。

今日から「12回投稿」にチャレンジしていきます。
よろしければ最後までお付き合いください。

一回目の今日は
家族関係で悩んできた私が思う「心地よい距離感」のヒント
というテーマでお話していきます。

私は結婚して4年目。
結婚前は3年間、地域おこし協力隊でした。

協力隊になるまえは会社員で、
週末は自分で借りた畑へ遊びに行ったり
社会人が週末に学べる農業学校に通ったりしていました。

その期間に「生かされていること」に気づかされ
恩返しの意味で地方に移住し、貢献しようと思いました。

地方に移住してきてからは
実家の家族や、生まれ育ったまちに対する
気持ちの変化がありました。

前説が長くなってしまいましたが

移住前の気持ちや
移住後にもつようになった想い

そして私の視点から
実家の家族との
心地よい距離感・関係の保ち方について
ヒントを1つお伝えさせてください。


■結論


心地よい距離感・関係の保ち方についてのヒントですが
「家族って思った以上にもろい関係」だからこそ丁寧に扱うこと
だと思います。

親しき中にも礼儀あり、という言葉がありますが
私にはこれが足りていなかった、と振り返って思っています。

ここで考える礼儀とは…【距離感】かな。

距離感が私の家は『ありすぎました』。
特に末っ子である私が中学生になった頃から。

フレンドリー?なファミリー感が無く
どこかいつも気の抜けない家でした。

結婚式で兄にスピーチで
「〇〇は家族のムードメーカーだった。
家庭が大変だった頃、がんばってくれた」
というような言葉をもらいました。

常に気を遣う家庭。
もっと、甘えたらよかったなぁなんて。
素直に甘えるのも親孝行と思ったりしています。

■移住前、父の背中を見て働いていた

幼少期から父とは離れて暮らしており、
子どもながらに精一杯書いたお手紙には
「いつもお小遣いありがとう」のメッセージ。

親の離婚で、一度は父に心を閉ざしましたが
この時期に聴いていたのは片思いソング。
想ってるのは父親のこと。

それから、「現状維持はだめだよ」と言う父の
すすめで、父の会社に入ることになりました。

それから父に対する見方が変わりました。
父は、仕事に人生を捧げている頑張り屋さんだと知りました。

■移住後、父の病気発覚

結婚直前に父の病気が発覚しました。
本気で地元に帰ろうかと思いましたが、
コロナ禍で動けませんでした。

親は死なないものと、なんとなく思っていました。
でもやっぱりそんなことないですよね。
命には順番があって、という言葉が浮かびました。

■私の結婚後、家族が解散した

私が成人した年に親が一度目の離婚。
復縁したものの二度目は私が結婚してすぐでした。

二度目は言葉どおり「はい、解散」状態で
あっけないなぁと思ったことを覚えています。

でも不思議とバラバラ状態を受け入れられました。
みんな、それぞれの人生を歩きはじめた、
それって全然わるいことじゃないって。

■家族不振からの脱却

一旦は家族が解散、
バラバラ状態になったことを受け入れられましたが
家族はやっぱり複雑にからまっていることを痛感しました。

過去の話を持ち出したり
今まで言えなかったことを吐き出したり
お互いのボタンの掛け違いで、一方では裏切り者になってしまったり。

(落ち着いてきましたのでご心配なく(^^))

私にもやっぱり色んな思いはあって
消化不良なことはありますが

先日の義実家の方での葬儀を経て
改めて〈後悔のない関係で在りたい〉と思いました。

親の離婚を経験して、先ほども書きましたが
私は離婚は悪いことではないと感じています。
それも普通に選択肢の一つだから。

子の幸せは、親の幸せ。
それは親にとっても同じだよね。。

余談ですが
私はされていませんが、
虐待を受けた子どもでさえ
親をかばうそうです。

(なぜこれを書いたかというと、
虐待を受けた経験がある人は
“きっと親を恨んでいるはず”
という思い込みがあった私。
その思い込みを外すことによって
1つ視野が広がったからです。
人の気持ちを
簡単に分かった気にならないようにと
私のストッパーになりました。
ちなみにですが…
テレビドラマから学びました。)

初回から重ための話になってしまいましたが、
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

自分が亡くなるとき、後悔を1つでも少なくしたい
そう願うあなたへ。


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