引用

「今日、人民の原理は合衆国において、人の想像しうるあらゆる実践形態に発展した。他の国ではこの原理は注意深く擬制で覆われているが、ここではそうした擬制の一切から解き放たれている。それは必要に応じてあらゆる形式をつぎつぎと身にまとう。あるときはアテナイにおけるように人民が集まって法をつくり、あるときはまた普通選挙で選出された代議士が人民を代表し、ほとんどその直接の監視の下に人民の名におい て行動する。
ある国々では社会全体にとっていわば外的なある力が働きかけ、特定の方向に進むことを社会に強制する。
別のある国々では、力が分割されて社会の内部と外部に同時に存在する。 このようなことは合衆国には何一つ見られない。ここでは社会がそれ自身の力で、それ自身に働きかける。 力は社会の内部にしか存在しない。その外にこれを求めようと思う者、ましてその考えをあえて表明する者はほとんど一人もいない。人民は立法者を選ぶことを通じて法の作成に加わり、執行権の行使者を選挙することでその適用に参加する。政府に任された部分が小さく限定されている限り、また政府がその民衆的起源を意識し、自らの力の源泉に従う限り、人民自身が統治していると言うことができる。神が宇宙を統べられるように、人民がアメリカの政治の世界を支配している。人民こそ万物の原因であり、目的である。すべてはこれに発し、すべてはこれに帰する。」

トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第一巻(上)、松本礼二訳、2005年、92-93頁。(Alexis de Tocqueville, De la démocratie en Amérique, 1 (Paris: Michel Lévy, 1835))

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