ストレスと性欲の剥離

1年ぶりに書く。
1年間、サークル活動や納得感のある仕事の日々を重ねてた。

昨日コロナに罹患して、久々に何もない週末を一人で自宅で過ごしていた。
症状としては軽症ではあるが、外出自粛していて少しストレスだ。
そこで気づいたことがある。

若干のストレスを感じながらも、強い性欲が発生しない。
以前はストレス下の時、元カノに縋る気持ちや風俗に行こうとする強迫観念が発生していた。仕事中にも発生し、辛い時は仕事を一時中断して発散するほどに。
しかし、今は発生していない。

風俗サイトを漁ってみても行く気持ちすら発生しない。
以前は、閲覧するだけで行きたい気持ちが湧いてきたのに。勃起不全に陥った気分だが性欲が無くなったわけでもない。

不思議だ。
実は昔、人は日常的に性欲を感じるものと思うほど歪んだ認知を考えたこともあるが、今は全くの性欲を感じない。

元カノを思う気持ちはあれど、昔ほどの執着するような強い気持ちでもない。

この1年間、男性女性問わず多くの人と、対等にコミュニケーションした。
結果、自分の中に多くの第3者を迎えた。多くの価値観があることを知った。

昔は結婚するなら元カノしかいないと執着していたが、今は薄い執着を持ちつつも、あくまで選択肢の1つと見做せるようになった。
多くの女性と対等にコミュニケーションして、元カノを絶対視する固定観念が崩れた。

私は、多くの人に与えられるようになった。
最初の頃は、与えても返さない人に対しTakerとみなして、恨み節を感じたほどだった。
しかし今は、自分が与えることが普通となり、返さない人は多数派で普通であることを自覚して気にしなくなり、自分が辛くならない程度に与えられる人になろうと思えた。

仕事も転職し、自分の行動がアウトカムに繋がるような職場に変わった。
今までは上司から抑圧され、気持ちが身動きできない状況だった。
しかし、職場が変わり自分からどんどん物事を推進しようと前向きになれた。

元カノと別れて2年たった。

昔の俺は、口を開けてご飯を待ってる子供だった。
昔馴染みの友達はそんな俺でも楽しく遊んでくれていた。
しかし元カノは、俺の本質を知ってしまったのだろう。ついぞ別れる結末に至った。

別れた直後、俺は変わらねばと決意した。
それでも最初の頃、意思疎通する力が未熟な俺は失敗続きだった。多くの人は年齢にそぐわない行動する俺をみて距離を取ったろう。
学生の頃に経験しておくべき失敗もしてなかったのだから仕方ない。過ぎ去ったことに後悔しても意味がない。「年齢」という言い訳を捨てて人間として前進するよう日々努めた。

多くのコミュニティに入ってみた。
多くの人と会話した。
多くの人を気遣えた。
多くの人と気軽に連絡が取れる関係になれた。
多くの人に誘い誘われる関係になれた。
今の俺は、多くの人に求められる人間となっていた。

今のストレス下において性欲を感じないのは、自己肯定感が充足しているのだろう。
承認欲求が満たされている。

俺はこの世界に生きていると、他者に認知してもらえている。
そして俺も、あなたもここにいて良いと認知する。

俺は一人では生きていけない。
だから、多くの関係を欲して多くの友達ができた。

2年間の自分を成長させるための活動結果は上々だ。
これで短期的に、承認欲求に関して困ることは減るだろう。

ただ、中長期観点からは不足している。
人生を共に歩んでくれるパートナーが欲しい。

一人では、友達とでは、できることは限定される。
気の置けないパートナーが欲しいと欲している。

次の活動に向けて動き出す準備をすべきだろうな。

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