二階堂 過去編を考える
*ネタバレを含むかもしれません、ご注意ください。
*出典・引用
野田サトル「ゴールデンカムイ」ヤングジャンプ 集英社
野田サトル ゴールデンカムイ公式ファンブック「探求者たちの記録」ヤングジャンプコミック 集英社
ゴールデンカムイ公式サイト 質問箱
https://youngjump.jp/goldenkamuy/contents/qa/beginner.html
野外博物館 北海道開拓の村
https://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/nopporo-forest-park/kaitaku-village/
北海道ファンマガジン
静岡県ホームページ
屯田兵、第七師団 各Wikipedia
ゴールデンカムイに登場する双子の二階堂兄弟の過去を探るべく調べました。
公式とは全く関係ありません、捏造であり妄想です。
結論→理由と資料の順で参ります。
【結論】可能性高い順
1882年11月19日 静岡県出身
父は旧徳川家の士族
藩が崩壊後みかん畑経営
①経営うまくいかず家族で北海道へ
1899年 志願し屯田兵となる 17才
②経営はうまくいったが両親または片方が死亡、あてがなく新天地を求め
1899年 志願し屯田兵となる 17才
③①②の設定のまま北海道で徴兵される
1883年産まれに訂正しても良い
その場合1903年に徴兵 20才
このパターンのどれかと推測します。
【はじめに】
まず年齢から生まれた年を割り出します
・杉元とアシリパの出会い 1907年
・杉元、谷垣、二階堂兄弟はほぼ同じ年齢
・杉元は満期除隊→北海道へ
よって1907年時点で杉元は24才と仮定
つまり双子の誕生日は“1883年11月19日”(仮!!)
【幼少期】
ゴールデンカムイは「私たちは◯◯と呼ぶ」、「レプンカムイ」別名「イソヤンケクル」と名前を丁寧に説明する、
名前に意味を持たせる漫画だと勝手に思っているので
名前の漢字の由来を一応調べました。
浩→勢いよく広がる水、大きく広い。一面の水。
洋→広大な海、おおきい。
平→穏やか、平和。親譲りの「系字」が多い。
二人とも海にまつわり「おおらかで大きな心を持った人に」というニュアンスですかね。
コウヘイ・ヨウヘイはカタカナで書くとよく似ていますし、意味も似ていて双子にぴったりな名前だと思いました。
双子ならではの偏見に負けずに大きな心で…という願いもあるのでしょうか……
これは余談かつ静岡の地理に詳しくないので間違ってたらすみませんが
「宇佐美地区のみかん畑は宇佐美海岸を見下ろす素晴らしい景色」との一文を見つけ
(宇佐美…みかん…海の関係する名前…まさかここが出身地…??と勝手に盛り上がりました)
江戸時代にあった双子に対する「忌み子」「畜生腹」の考えが明治にもあったのかハッキリとは分からなかったのですが、二人の強力な精神的繋がりを見ていると友達や近所からは「あった」のではないかと勘ぐってしまいますね。
ファンブックには「浩平が少しだけ早く産まれた」とありますが
「双子は先に産まれた方を兄・姉とする」と1874年(二人の誕生前)に太政官布告がでています。
にも関わらず兄と明記しないのには
・後に産まれるお腹の奥にいる子が先に出来た兄
・先に出てきた子は兄弟を蹴って我先に出てくる
といった双子に対するネガティブなイメージ全般がなかなか払拭されなかった時代であった事を仄めかしたい意図がある気がしました。
私の中で子供時代は
洋→元気いっぱいで怖いもの知らず
浩→そんな洋平を見守るお兄ちゃん
のイメージでしたが浩平の方がイジメの対象になりやすいとなると
洋→浩平を守るためにどんどん前に出ていく
浩→そんな洋平が損をしないようにしたい
のイメージに変わりました。
幼少期からずっと互いを守りあう精神でいたかと思うと、
守り、守られた対象を失う喪失感は計り知れないですね……
ただ家族は二人を分け隔てなく育てていると感じるので、ちょうどこの文化が無くなっていく過程の時代を生きたのでしょうか。
杉元の「そっくりだな、印をつけとけよ」に「殺してやる」と即答するのは
幼少期から散々言われてきて、このからかい方には敏感なのかなとも感じられます。
【母親は健在?】
明治における双子の出産を調べました。
まず双子の時点で母体には妊娠中から過重な負担がかかるのですが、出産においては危険率が通常の2倍になるそうです。
(明治時代の出産における胎児がひとりの場合の母体の死亡率は10%=20%)
胎児一人ひとりの危険率は5倍。
(明治時代の胎児一年以内の死亡率は15%=75%)
胎児は予定日より三週間ほど早く産まれるため小さく未熟児であることがほとんど。
一卵性の場合更に胎盤の動脈、静脈のどちら側にいたかで300gほどの差がでるようです。
帝王切開は江戸時代の終わり頃から始まっては
いましたが、ほとんどの人が産科や助産師には頼らず自宅で産婆さんを呼び行っていたようでした。
インカラマッとフチのイメージです。
また母子ともに生存したとしても
体重差のある未熟児の育児、二人分には足りない母乳、互いに病気を移しあうなど双子育児は大変そのもの。
二階堂母には頭が下がりますね。
死亡率75%の双子が二人揃って健康に大人になったのは奇跡に近いのでは。
更に双子の母には
・食事を一緒にとったり機(はた)を織ると畜生腹がうつる
と言われ避けられた時代背景があると知り悲しくなりました。
【父親は士族?】
士族とは侍のことです。
・藩が崩壊し多くの侍は藩主から手当てをもら い、そのお金で土地を買い農業を始める者が多かった
・特に静岡はみかん畑、茶畑を旧徳川家の侍が中心となり作る
と、あります。「みかん」来ましたね。
更に
・急に商売を始めた武士がうまくいくわけもなく「武士の商売」という言葉を産んだ
みかん畑うまくいってない可能性ありますね。
第七師団は特にファンブックの好きなもの/嫌いなものが
純粋な味というよりそのものにまつわるエピソード込みで好き/嫌いになっている印象なので
「みかん」が好きなのは「みかんにまつわる思い出」も引っくるめて好きなんだと思います。
商品にならなかったみかんをワイワイ食べたり、作業を手伝ったのは好きな思い出なのかな、と。
みかんは豊作の表年と不作の裏年が一年ごとに来るので両方を栽培すると収穫が安定するそうです。
ふたつ、ふたりで安定するのはどこか双子を連想させますね。
また、「当時のみかん農家は病害虫の被害に苦しめられたと」資料にありました。
どこの農園も苦労していたようです。
【北海道へ】
静岡から北海道なんて遠すぎないか?と思いましたが
「静岡」ありましたね。
他にも兵庫、徳島など遠くから北海道へ移住する人は多かったようです。
ただ上の表だと1883年はちょうど産まれたくらいと考えられるので会社組織による移住ではないと思います。
資料には「一般の単独移住が圧倒的に多かった」とあるので一般の可能性が高いです。
父が屯田兵の可能性も探りましたが、旧徳川家の士族が軍に入るのは滅多にない。とのことでした。
家族で北海道へ移住し農業や漁業、炭鉱、土木工事などで暮らしたと考えるのが妥当でしょうか。
浩平が「故郷の……静岡に帰りたい」と発言しているので
家族で引っ越したとすると、しっかり思い出もあるし子供でもある
10代前半頃に引っ越したのかなと思います。勘です。
【屯田兵と第七師団】
前期屯田は全員志願なのですが
おそらく二人が大人になる頃は後期屯田なので徴兵制だけで軍の人数がまかなえたはずです。
屯田兵最後の入植は1899年
この時入ったものが後備役となったタイミングで屯田兵制度は廃止
(現役 3年、予備役 4年、後備役 13年)
1899年だと二階堂兄弟は16才なので
入植にはなっていないと思ったのですが、
谷垣狩りの時に「屯田兵も何もかも」と発言しているんですよね。
「陸軍も」等ならストレートに徴兵された道を考えるのですが、あえて「屯田兵」と言うからには彼らは「屯田兵」なのではないか。
そうなれば志願兵だ!!!!と思い調べました。
徴兵令はぴったり20才~始まる訳ではないみたいなので杉元も21才~服した可能性もありますね。誕生年を一年早めても良さそうです。
更に現役志願兵は17才~可能となっており、屯田兵最初の入植は12月に行われました。
以上をまとめると
「17才~志願で屯田兵になった」可能性があります。
・屯田兵発言
・戦闘時に同じ一等卒同士でいる時、浩平が指示を出し周りが素直に従う姿
この2点に違和感があったのですが、周りより入隊が早く経験豊富だったとすれば納得できます。
(尾形も「屯田兵たちの間で~」と発言がありますが
この時は最後の入植から8年経っているので、本来なら後備役だが志願で現役を続けている元屯田兵を指しているんだと思います。)
(日露戦争後、鶴見中尉は「元屯田兵の手元に残ったのは~」と発言。)
そうなると入隊の理由ですが、作中でもよく言われる
「食べるものに困らない」や「家族のため」があるように思います。
屯田兵は家族を連れて用意された家に住むのですが、家具・農具も揃っており一般の住宅より良い造りであったとあります。
ただ北海道の寒さは本州の人間にはかなり厳しく「ここまでとは聞いてない」と逃げ出す者もいたとか。
1904年に屯田兵制度は廃止されますがこの時に家族が住んでいる土地は私有地となり
売却するもよし、住み続けても免税となるそうです。
1904年はまさに日露戦争があった年です。
仮に家族で住んでいて売却を決めたとしたら帰る家が無いので
鶴見中尉の元にいるのも納得できます。
二階堂両親がどうしているのか散々考えたのですが
①両親は他界している。あてがないので入植した。(人間関係をリセットする目的で入植する者も多かったようです)
(地元の人間や親戚には「双子だから」とあまり良く扱われていなかったりして……)
②私有地を売却しお金を得たので静岡に戻った。
③そもそもずっと静岡で暮らしており、兄弟のみが北海道へ。
の3パターンかなと思うのですが、③は可能性が低いと思うので実質二択かなと…
①③の場合入植した家で二人暮しになるのか独り暮らし×2になるのか不明ですが、
他の家がノルマに対し家族単位でこなすところを二人だけでこなすことになります。
相当しんどいと思いますしあの痩せ型も納得できるような……でも兄弟の絆が更に深まりそうですよね。あり得る気がしてきました。
あとは徴兵で第七師団に入った可能性ですが
・第七師団の徴兵令は1898年~で北海道在住者→二十歳の頃には北海道に移住済み
仮に家族で北海道に移住し、親が北海道で健在だとしたら
「故郷の……静岡に帰りたい」発言になるだろうか。
浩平にとって北海道はツラい思い出の方が多く、静岡はあたたかい思い出に溢れていると考えると、両親は他界してるか静岡にいる可能性が高いと思います。
あと1巻の27連隊の紹介が「屯田兵の部隊~第七師団」とありました。
日露戦争後、屯田兵は廃止されているので、もしかして作中において屯田兵と師団にあまり違いを持たせていないのか?という疑問もあり謎は深まりました。
【まとまらない】
とっ散らかった文となり申し訳ありません。
両親が健在なのか→不明。杉元両親や谷垣母は亡くなっているので可能性はなきにしもあらず。
北海道に移住した時期→不明。少なくとも17才以前と思われる。
志願入隊なのか→不明。少なくとも満期除隊はしていないので4年目~は志願。
だが、日露戦争で多くの兵を失った日本陸軍は普通なら除隊を認めない背景があるので本心かはやはり不明。
二階堂兄弟は可能性の男なので、なんパターンも考えられますね。
公式から過去編が出るのを心から祈ります。
出身地が詳しく発表されたらふるさと納税したいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
追記
同い年とされる谷垣が作中で屯田兵となり畑を耕す描写があるので、年代が多少「?」であっても双子も屯田兵をしていた可能性はありますね。
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