平成30(2018)年6月4日公表の財務省「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を読み直す
以下目次に沿って。適宜、以下の長周新聞の記事等を交錯させる。
「I.はじめに」
最初のページ脚注に、「書き換え」ではなく「改ざん」と表記した経緯について記載されている。「改ざん」と改められたことの意義は大きいと思う。
「II.調査経緯」
平成30年3月12日、財務省ははじめて決裁文書の改ざんを認めた。説明責任を尽くすべく、捜査と並行しながらも、自らもできる限りの調査を進めるべきと考えた。
また、結論として、「森友学園案件」に関しては、平成29年2月から4月にかけて合計14件の決裁文書の改ざんが行われた。
「III.背景事情」
まず、関係部局の説明。
国有財産行政は、国債管理や財政投融資等とともに財務省の「本省理財課」が所掌しており、事務方の最終責任者は「理財局長」である。
問題の土地(大阪府豊中市所在、8770平方メートル)は、大阪国際空港周辺の騒音対策の一環として補償として国が買い取った。当初は国交省大阪航空局所管の行政財産であったが、その後騒音区域の縮小に伴い普通財産化され、国として保有し続ける必要がなくなった。そのため、平成25(2013)年4月に大阪航空局から近畿財務局に売払い処分依頼。6月に募集をかけると、森友学園から取得したい(ただし、経営が安定するまでは借り受けてその後に取得したい)との要望があった。
関係通達によれば、公的用途に供するために売払いを前提とする貸付期間は原則3年までが原則となるところ、特例により本省理財局長の承認を得れば別途の処理が可能となっていた。そこで、上記決裁文書のうち文書4(特例申請)と文書5(特例承認)により、10年の貸付けを承認。その後、平成27年5月から6月にかけて森友学園との間で「事業用定期借地契約」等を締結。
その後、平成28年3月、工事着手した森友学園側から、大量の生活ごみ等を含む地下埋蔵物が発見された旨の報告。早期買取の意向も示され、平成28年6月(20日)に売買契約を締結。なお、平成28年11月には、森友学園の名誉校長に安倍明恵氏が就任している。
※上記経緯や価格算定手続等については、会計検査院の会計検査結果が平成29年11月22日に公表されているので参照したい。
第1 検査の背景及び実施状況 | 学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果について | 検査要請 | 会計検査院 (jbaudit.go.jp)
平成29年2月9日(木)新聞報道。
調査報告書には朝日新聞への明示的な言及はないが、以下の朝日新聞のスクープである。
なお、その前に動きを察知した財務省では、2月に入って本省理財局の国有財産審理官が理財局長に対して案件概略の説明を行っている。
朝日新聞は、売却価格について調査・取材を重ね、2/9の報道時点ですでに金額を確定的に報道している。近畿理財局もこれを受け、同日のうちに森友学園側から同意を取り、翌日10日には価格を公表した。
なお、2021年(令和3年)、朝日新聞でこの調査報道の振り返りをしているが、上記報道に至る経緯についても書かれている。
長周新聞の記事によると、実質的な購入負担はもっと低いらしい。
調査報告書に戻る。朝日のスクープを受けて、平成29年2月13日(月)、本省理財局は財務大臣(麻生太郎氏)に対して、案件概要と、価格(※1億3400万円)は、不動産鑑定評価による更地価格(※9億5,600万円)から地下埋設物の撤去費用を差し引いた価格によることを説明。
しかし、14日、理事長が、「1億円くらいかな」と発言したとの報道も。
平成29年2月15日の衆議院財政金融委員会以降、国会審議で本格的に取り上げられた。2月17日には安倍元総理より、「私や妻がこの土地取引に関係していれば、首相も国会議員もやめる」との発言(以下の動画の25/29分あたりか)。
国会の追及がエスカレートしていく。
2月21日に一部政党の国会議員団が現場を視察することに。これに備えて、理財局では、近畿理財局の担当職員に対し、学園側の顧問弁護士との間で対応を相談するように指示。様々な提案がなされたようだが、結局、現地視察には、理事長も弁護士も同席しなかった。
ただ、現地視察団は、視察後に、近畿財務局や国交省大阪航空局の職員と面会。職員側は「応答要領」をあらかじめ用意して臨んだが、そこでは、政治家関係者からの不当な働きかけはなかったこと、応接録は残されていないと回答することにしていた。実際に政治家関係者の関与の有無に関しては厳しい質問があった。
翌日2月22日、本省理財局と国交省大阪航空局から内閣官房へ報告。以後、応接録の廃棄、決裁文書の改ざんが具体化。
ちなみに、以下は、赤澤さんという方の記事からの抜粋である。近畿財務局で渦中にあった赤木敏夫さんの妻雅子さんは、のちに、令和2年・2020年、国と当時の理財局長に対して損害賠償請求を提訴するが、国は請求を認諾した。そのため、国との訴訟は一方的に終了させられ、理財局長との訴訟だけが残った。以下はその背景について探った箇所である。
再び調査報告書。
まず、「IV.応接録の廃棄等の経緯」
当時の「財務省行政文書管理規則」では、応接録については明記がなく、こうした規則に列記されていない文書については、同規則細則に基づき、保存期間は「1年未満」とされ、具体的な終期は「年度末まで」「事案終了まで」等定めることとされた。また、保存期間終了文書は、国立公文書館に移管か、廃棄することになっていた。
問題の森友学園案件に関する応接録は、作成時点で「1年未満保存(事案終了まで)」と定められた。しかし当時は、事案終了時期の解釈に関しては関係者間の認識は必ずしも統一されていなかった。ところが、平成29年2月以降(朝日の報道以降)、本省理財局で、森友学園との売買契約終了時(平成28年6月20日)をもって「事案終了」と整理され、近畿財務局にも伝達。
国会で、応接録等の存否が問題となる中、2月24日、財務省は一部政党からの照会に対して、上記整理のもと、「そうした記録はない」との書面を提出。理財局長からは以下のような答弁も行われた。
しかし、現場における実際の廃棄は、実はこの後進められていく。
紙媒体と電子ファイルは削除されたが、一部、個々の職員の手控えや、共有フォルダの電子ファイルについては、廃棄されず残されたものがあった。これについては、平成29年3月の刑事告発報道や5月の東京地裁への証拠保全申立てを受けて、それ以上の廃棄は行われることはなかったが、これが明らかになるのは、平成30年になってからだ。
次に、「V.決裁文書の改ざん等の経緯」
先に触れた2月21日の国会議員団の現地訪問、近畿財務局職員及び本省理財局国有財産審理室長との面会を受けて、文書4(特例申請)と同5(特例承認)等における政治家関係者に関する記載の取り扱いが問題となるだろうと認識。そこで、幹部職員は理財局長にも報告のうえ、2月26日(日曜日)、本省理財局作成に係る文書5の決裁文書(特例承認)について問題となりそうな記載の削除等を実施。同日、対応する文書4の決裁文書(特例申請)についても、近畿財務局職員に日曜日の出勤を要請したうえで、同様の書き換え(改ざん)を具体的に指示、作業が行われた。
さらに、近畿財務局で行われた文書1(貸付決議①)と文書3(売払決議)の改ざん経緯についても、2月26日の時点で一定の指示が開始されているが、特に3月上旬から4月上旬にかけての一連の流れは、この54枚の調査レポートの中でも唯一と言ってよいほど生々しく現場に垂れ込める嫌な切迫感・緊張感に肉薄する感を覚える。忘れてはいけないのは、2月26日呼び出しされた近畿財務局職員の中に、あの赤木 俊夫さんがいたということ(当時、近畿財務局の上席国有財産管理官)。以下のくだりでは、近畿財務局の統括国有財産管理室の配下職員には改ざんへの強い抵抗感があったこと、本省理財局からの指示に強く反発した、とある。この職員こそが赤木さんなのだろう。
「VI.一連の問題行為の総括」
まずは総論的に、応接録廃棄と決裁文書改ざんの主たる目的(動機?)について
また、理財局長による(未廃棄の文書があるのに)「応接録」が廃棄されている旨国会答弁した経緯や決裁文書改ざんへの関わりについては、問題の文書の内容や位置づけ等に関する正確な理解がなかった等としており、さもありなんと思う面もある。
そして、一連の問題行為の「評価」については、それぞれ「不適切である」とした。
しかし、それだけである。行為の動機も評価も極めて抑制的な表現にとどまり、平成29年2月9日の朝日のスクープに始まり、2月17日の安倍元総理の予算員会での発言との関連性については全く触れられていない。国会対応における公務員の負荷はかねてより言われておりこれは比較法的にも検証し改善が検討されるべきであるとは思うが、本件に限ったことではなく、本件でこれだけの組織的な改ざん行為が行われた理由や重大さについて十分に説明できていないと思う。
本来のあるべき姿からの逸脱とその経緯、背景等を考えれば、もっと厳しく問題を指摘する表現が使用されてよいと感じた。
その点では「長周新聞」のほうがずっと問題の構造をあぶりだしている(上記でも各所で参照した)。力作だと思う。
なお、調査報告書に記載された決裁文書改ざんの動機については、ひとつひとつ後ろ向きであり、公務員としてのプロフェッションや公文書の意義を貶めるような内容が並ぶが、改ざん自体が不適切であるとして、こうした動機もまた不適切であるということになるのか、はっきりしない。これが一次的な文書作成の動機・理屈として推奨される場合に必ずしも否定されるべきことにはならないのか、気になるところ。
さらに責任に関する記載が続く。
まず、「本省理財局における責任」。
ついで、「近畿理財局における責任」など。
なお以下に、配下職員に関する記載があるが、赤木敏夫さんのことだろう。
「VII.その他の決裁文書に関する調査」(伏在)
たとえば以下のような事例もあった。
「VIII.再発防止に向けた取組」
▶平成 30 年 3 月 23 日閣僚懇談会における内閣総理大臣の発言
▶公文書管理に関するガイドラインの見直し(平成29年末)
なお、上記は、内閣府ホーム >内閣府の政策> 制度> 「公文書管理制度 関係法令・通知等」から「過去のガイドライン」として掲載されている。
▶財務省行政文書管理規則の見直し(平成30年4月)
▶幹部職員も含めた情報及び行政文書の適切な取扱いに関する総合的研修
▶決裁プロセスの電子化への移行加速化(電子決裁の原則化)
▶決裁完了後の文書更新についての事後的検証を可能とするためのルールの見直し
以上、平成30年6月4日に公表された財務省の「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」のふりかえり。
<追記:赤木敏夫さん、溜池夫妻のお話>
赤木敏夫さんは調査報告書の出されるより前、平成30年3月7日になくなっている。事件発覚後、一連の問題行為に関与させられた末にうつ病を患い、平成29年7月中旬以降休職していた。
この数日前平成30年3月2日に改ざんの疑いが朝日新聞で報じられていた。
また、赤木さんが心理的に追い込まれていく様については、「私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?」(赤木雅子、相澤冬樹著)を読んだ。
平成29年の年末、検察が接触してきたことから急転換していく様が描かれている。深く罪悪感を感じていた。そして自分一人に責任を押し付けられる恐怖を抱いた。なんという不信感。元理財局長はじめ同じ組織の人間や国の制度をもはや信用できないと強く感じていた。あまりにも強烈な描写である。
平成30年3月9日、佐川氏、国税庁長官を辞任(財務省を退官)
(※平成29年7月、国税庁長官となっていた。)
同年3月12日、財務省は改ざんをみとめた。そして6月には調査報告書を公表。
同年5月末日、大阪地検特捜部は、告発されていた全員を不起訴。
平成31年3月、検察審査会、佐川氏を含む10人について「不起訴不当」
同年(令和元年)8月、検察は再び不起訴処分としたため捜査は終結。
一方で平成29年7月、溜池夫妻が補助金をめぐる詐欺容疑で逮捕・勾留。
しかし、妻 雅子さんの闘いはさらにここから始まる。
<① 情報公開請求関係>
平成30年4月24日に公務上災害の認定請求を行い、
平成31年2月7日に公務災害と認定を受ける。
令和元年9月11日、公務災害の理由につき人事院に対して情報開示請求。
開示された70枚ほどの文書は殆(ほとん)どが黒塗りだった。
令和2年4月13日、近畿財務局長に対して、夫の公務災害を認定するため近畿財務局長が保有する一切の文書について、個人情報開示請求。近畿財務局長は、令和2年5月13日、「新型コロナウイルスによる緊急事態宣言に伴う処理可能作業量の減少、業務多忙、及び対象文書が著しく大量で審査等に時間を要するため」という理由で、令和2年6月15日までに可能な部分について開示決定等を行い、残りの部分については令和3年5月14日まで開示決定の期限を延長するという通知を行った。
その上で近畿財務局長が令和2年6月10日に開示したのは、「公務災害に係る遺族補償年金等の支払いについて」というたった10枚の文書
2021年8月11日、財務省と近畿財務局に対し、「財務省と近畿財務局が学校法人森友学園に対する国有地売却問題に関して行われた刑事告発に関連して行われた任意捜査の際、東京地検または大阪地検に対して任意提出した一切の文書ないし準文書(任意提出した際の控えないしは各検察庁から還付されたものを含む)」という内容の行政文書開示請求。
これに対しては、まず、不開示決定取消訴訟を提起。
しかし、2023年9月14日、大阪地裁(徳地淳裁判長)は、雅子さんの訴えを棄却した。現在控訴中(24年2月7日、審理が始まり、8月23日に期日があったようだ。)。
もう一つは、行政機関の長(ここでは財務省)に対する不服申し立て。
これについては、情報公開審査会に原則諮問し答申を受け手結論を出すことになっているところ、2024年3月29日、総務省の情報公開・個人情報保護審査会が「存否を答えたとしても、捜査機関の手の内情報には該当しない」と判断し、不開示決定を取り消すよう答申。しかし、答申には法的拘束力がないとされており、財務省は5月28日付で審査請求を棄却し、前回の決定を維持した。これで審査請求は終結。今後は、開示請求訴訟(控訴審)のほうに一本化するが、そこで答申結果の援用、その他主張立証を尽くし、有利な訴訟展開を図ることになるのだろう。
<② 損害賠償訴訟>
2020年(令和2年)3月18日、国と元理財局長に対する損害賠償請求訴訟を提起
2020年8月28日、安倍元総理辞任。
2021年12月14日、1審審理中、国は「認諾」した。
なお、認諾前、いわゆる「赤木ファイル」は開示されている。
認諾の意味やその経緯についてはこちらを。
これによると、認諾はレアだ。
「認諾」で何を隠したかったのか?再掲する。
国の認諾後も、元理財局長との訴訟は継続されたが、一審(22年11月25日)に続き、控訴審でも請求棄却(23年12月)。
そして23年12月27日上告
その後の状況は確認できていない。
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