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20230327 - フィルター

人間という生き物は脳みそに心とかいうマジでいらないクソッタレみたいな虚構を持っているが故に認識する全ての情報にフィルターがかかっている。体内器官による直接情報を歪めるものや心によって情報の味付けが変わったり、そもそもとしてフィルターの概念は幅広い。

自分は大学一年のうち何をしましたか、いわゆるガクチカを聞かれたとするならば勉学でもなく、読書でもなく、作曲でもなく、対話でもなく、バイトでもなく、自己分析だと思う。非常にバイアスのかかった自己分析ではあるが。

常に自分のことを把握して、なぜそうなったかを考える。大変な日はバイト中に1時間脳内にもう1人人間を作ってそれに怒ってもらったりする。自分のいたらなさ、語彙のなさ、融通の利かなさ、世間というフィルターにかけて自分がいかに劣っているかを自責し、改善するためにはを考察し、それがいかに難しくこれまで人生をやり過ごしたような生き方をしてきたお前には無理だと自責し、これは完全にループである。自己分析というかは自傷だと思う。精神的自傷を1年間やりました!と言われれば面接官はおそらくクビにするだろう。

他に自己について考えていることは性別観とか、死生観とか、界隈という文化とか、自己発信の醜さとか、そんなことを常に考えて、自分のプロフィール帳を黒塗りにした後もう一度黒い鉛筆で細く細く書き直しているような、そんな感じである。

自責をして割と怒られる時があったり、あとは褒められたりすると褒めて欲しくないと言う、すごいと言われるとそれを振りかざすな、と言うとか、自分と他人の認識にはおそらく違うフィルターがかけられているのだろうなと感じる。そもそもフィルターという概念が人それぞれに表記揺れのように揺らめいているものであるからそうなるのはやむないが自分もどちらかというとそちらに行きたい。自責せず、自分のことは正直に褒めてやって正直に叱ってやりたいのである。勉強できないとか、集中できないとか、辛いとか、それを無下にせず丁寧にフィルターを掃除してやって綺麗な認識をすることが一番。

なので、フィルターという自己を攻撃するためだったものを一度修理する必要がある。時間をかけて。だから修理屋さんは必要だ。あとは休める環境づくり。フィルターを掃除するのは時間がかかることは明白だ。人によっては生まれながらそのフィルターは埃にまみれてしまう場合もあり、その場合は幼年期からの自己を整理する必要がある。その分効果はあるだろう。だからこそ、フィルターは定期的に掃除する必要があるし、できなかったら定期的に磨いてやるとか、さっと拭いてやる、いわばお出かけするとか、美味しいものを食べるとか、バイブスで本を買ったりUFOキャッチャーをやることが重要である。

結局俺たちは、節約とかダイエットとか、物を消費しないことにストレスを憶えてまでやるような生き物だけど、そんなチャチなことよりもっと生きる、ということに尊さを覚えていられるよう、やさしく、味わいのある美しさを覚え続けることが重要なんだっての。

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